労働訴訟をおこすとき
整理解雇やリストラで解雇無効を訴える場合以外は、労働者はひとりで会社と闘うことになる。
労働者は、解雇通告という残酷なその瞬間、どんな解雇理由を並べられて解雇されただろう。
いじめ・パワハラを受けていない場合、丁寧だが、こんな事を言われなかっただろうか。
←こんな感じで微笑みながら、死ねを意味する解雇を通告してくる。
(罪作りや。もっと恐い顔して言うのなら、偽善者の汚名はぬぐってあげるけどね。)
・1ヶ月つけますので、今日までということにしていただけますか。
・(妊娠している人に)お腹の子になにかあったら心配ですから、今月いっぱいで辞めて育児に専念してはいかがですか。
いじめ・パワハラを受けていた場合は悲惨だ。
(自主退職に追い込むために)
・机やPCと仕事をを取り上げられる
・あきらかに無理な仕事をさせられる
・自分だけボーナスが支給されなかった
・ささいなミスをねちこく非難され続ける
・夏、35℃もある場所に席がえをさせられる
・業務と関係のない草むしりや掃除をやらされる
・パワハラさんたちが、ミスを社長に告げ口する
・小学生でもできるようなことができないと非難される
・子どもの運動会などとわかれば有休をとらせてもらえない
(以上は私が受け続けたパワハラですけどね)
クラッシャー上司がいたなら、もっと悲惨だ。
その昔、旧財閥系の○○銀行というところで、ミスを犯した行員を、その上司が人格攻撃で怒鳴り散らした挙句、、罰則としてその人の机の上に何時間も正座させるということが慣例として行なわれていたと耳にしたことがある。(銀行員の妹から聞きました)
そして自主退職しない場合は、言い方がストレートだ。
(30日分の予告手当てなどない)
・もう要らんようになったから辞めてくれ!
(私はこう言われました、突然です)
私はパワハラがなければ、夫がいたしパートでもどこでも働きにいけばよかったのだから、裁判などしなかった。(と思う)
辞めてくれと言われてオロオロしている間は生活のことばかり考えて、30日分もらって辞めようか、とか社長にお願いして考え直してくれるよう言ってみようか、などと考えていただけだった。
しかし、「辞めてくれ」に始まって、上記のようなパワハラに加え、社長に私を辞めさせて欲しいと直訴するヤカラが出てきたり、パワハラ軍団に取り囲まれて「辞めろ」と言われるに及んで、「決着つけたる」みたいな気持ちになっていったように思う。
突然腹がきまって裁判をすることになったわけだ。
が、労働訴訟というのは孤独だった。
応援してくれる家族・友人、労働組合、弁護士はいたが、同じ立場の人間はいない。
裁判はケンカであるから、陳述書という武器で闘っていく。
その武器をいかに強力にするかを四六時中考え、立派な武器に仕立て上げて相手に向けていく。
もうこれは戦争といえる。
その間、私の場合、夫と息子2人には妻と母親がいないのとおんなじだったと言える。
この「戦争中」に、次男は不良グループに暴行・恐喝され、長男は志望校をあきらめ、夫は急性心筋梗塞で亡くなった。
これらのことは、私が裁判をしていなくても起きていたかもしれないが、私が「留守」をしていた間に起きたことだと思うと申し訳なさと自己嫌悪で一杯になる。
裁判は戦争だから勝ったとしても傷は受けるが、敗訴となるとたちまちに生活に困窮するから、労働者の受けるダメージは計り知れない。
司法の公平・中立というものはとうの昔に崩壊しており、最初から企業側に軍配をあげたり、陳述書も読まないで想像で判決文を書く裁判官もいるから労働者が勝訴するとは限らない。
労働者が裁判に負けて、生活ができないからといって、すぐに生活保護を受けるようなことも現実には無理だ。
持ち家や車を手放し貯金もほとんど使い切った状態―進学する子どもがいたならそれを断念させ、妻が専業主婦なら働かせた上でないと生活保護は受けられないからだ。
これではなんのために裁判までして仕事を取り戻そうとしたのか。。。全く無意味になる。
民事でも、労働裁判の場合、刑事訴訟のように「疑わしきは罰せず」的な理念を適用させて、凶悪犯罪者並の人物でない限り「その解雇は無効」と判決してほしい。
へんな裁判官にあたって敗訴してしまったなら、もう「死ね」と言われたのと同じだ。
(全国の判事さん、どうぞ、ひとりで闘っている労働者に軍配をあげてください。)