パッシー・サイ子と名づけよう―ナルシスト女編―サイコパシーはしぶとく生き延びる!企業に潜む人格障害者達 | 自己愛性人格障害者との闘いの日々
 

パッシー・サイ子と名づけよう―ナルシスト女編―サイコパシーはしぶとく生き延びる!企業に潜む人格障害者達

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自己愛性人格障害者のタゲ子
管理人

モラルハラスメント仕掛け人の正体は自己愛性人格障害者です!

プロフィール

 


シブとく生き延びるナルシスト達

(今日は愚痴です♪)

一体、私の会社はこの先どうなるんだろう。

自分が自己愛性人格障害者にターゲットにされ、4年かかって社長の理解を得、強力な助っ人社員(役員)もできたと言うのに気分は晴れない。

自分の思い通りにならない

これが苦しみの本質だと思っているが自分は(人間は)何て愚かなのか。

自分の思う事が正しくてその正しいことが通らない。こんな理不尽なことがあるのか!と憤ってしまいさらに苦しむ事になる。

そもそも、何が正しいのかなど、その会社・その経営者や役員の質?・社員の質?・その時代等々によって価値基準なんて変わってくるのだから、いつの世も正解などないはずだ。

私が気分が晴れないのは、憤っているからで同時に苦しんでいる状態とも言えるが。。。

まず、利潤追求が目的の企業で働いていて仕事をしない・会社に損失を与えても平気・責任を取る事も謝罪する事もしないような社員を見るだけでもエネルギーが吸い取られる。

そういう社員は何らかの処分をされて当然だと思うことは間違っていると思わない。

そして、私は経営者ではないから彼らが処分されない事について社長に直訴する事は間違っていると思っている。

(この矛盾する気持ちを抱え続けて、なんかストレス溜まってるのよねえ。。)

演技性人格障害者
自己愛性人格障害者やボーダー等々によるモラルハラスメント・パワーハラスメントが生じ、社員が精神を病むまでになっている状況が放置されたままというのも間違っていると思っている。

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しかし、私の中では結論は出ている。
それは(人は)思い通りにならない事が苦しみの根本原因だということ。

人が、今ある社会規範から外れていたなら間違っているか?と言えば決して間違ってはいないだろう。

人は、自分で作った規範も持っていて、自分が生きてきて例えば男の前で涙を流す事で我を通せたというものが通用してきたことからそれが正しいと信じている人も居たりする。(発達障害者のノーカンメがこれだし自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャも直訴するときは鳴く。。)

ノーカンメや自己愛ハンニャに=パッシー・サイ子達に会社でそんな事するのん間違ってるよと言っても通じない。
ノーカンメや自己愛ハンニャ達は自分がそれまで生きてきて自分が正しいと信じている事(=本能か?)をただただ私から否定された(イジメられた)と感じているだけだろうから。

ならばこの状況を全部受け止めるしか、憤りを収め、苦しみを解消する方法は他にはない。

社長の采配を受け入れ、パッシー・サイ子達の狼藉も受け入れるという事になる。

しかし、全てを受け入れるなんて生半可な自分磨きなどでは出来ることではない(生きるって大変なんだ)。

(本年の人事発表の内容を見て奈落の底に落ち込んでいる管理人でした。。。)

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