目からウロコの観客席―自己愛性人格障害者の悪のエネルギーを受け止める方法
(このサイトの管理人、おちょけてるやん!と思う方がおられるかもしれませんが→前回までの記事を通して読んでいたら、全体に悲壮感がないように感じましたので。。読む人によっては気分を害される可能性があるかもしれませんのでお気をつけください。)
管理人は実際に、自己愛性人格障害者らしき自己愛ハンニャという役付き者から4年もの間、ターゲットにされ続け、自己愛性人格障害者の被害に遭ったみなさんがやられたと同じ事をされているから、精神を病んでいてもおかしくはない状況だった。
知は力なりですゾ―自己愛性人格障害者への対処方法
しかし、管理人が無知のままに(自己愛性人格障害者というものを知らないままに)さんざんやられた後の事をそのまま書いていたら、悲壮感もただよい、涙なくしては読めないような記事になっていたと思う。
自己愛性人格障害者というものの本質を知ってからは、毎回傷がすぐに回復するようで、自己愛性人格障害者にやられた人格否定やなんかの事を記事に書いているときは、感情が蘇ってくるというよりも、単純に記録として頭に残っている記憶を吐き出しているという感じがする。博愛主義・偽善との非難?を受けるかもしれないが、後輩や親しい人が人格障害者にやられた時の方が、明確に傷を受けた!と感じる。
後輩がやられているのを黙ってみている訳にはいかない
入社後4年たって、うちの自己愛ハンニャが、ターゲットの私をおとしめるために、その矛先を私の周囲の人間に向けるようになってこりゃイカンと思い、感動のパワハラ解決策!で書いたように、HPで公開しつつ社長に報告せねばと思うようになった。
ということで、決して人事ではない。おちょけているのでもない。(ということを分かって頂ければと思います。)
いつだったか、管理人が自己愛ハンニャにやられて(いたのでしょう)落ち込んでいたかして、ドロ~ッとしたオーラを出していたのを社長が感じたのか、管理人が口をひらく前に、
↓
↑これは、社長がまだ、”自己愛性人格障害者”という言葉を知らないときの話。
(ここまで書いて、突然ひらめきました!)ああそうか!あの時の会話は、管理人を支える言葉だったのか。。。
↓
明るくしのぶ云々の後のこと。
社長が数人の社員と話をしているところへ管理人が通りかかった時、
と社員たちに言ったことがあった。
人からの評価で自分が変わることがあるが、この時に管理人は、自分は明るすぎる人間なんだ!と思い込んだようだった(笑)
なるほど!こんな励まし方(カウンセリング?治療?の仕方)があったんだ!
かくして、管理人は、明るく忍ぶための力を引き出してもらったのだった。(その手法・人間力に参りました!)
今朝、この記事の社長さんのお言葉にじーんとしたので、こちらにもコメント付けます。あっちこっちにすいません。。。
社長:
・土俵に立ったら全力を投球してしまうだろ?
これ、今だからこそ余計、そうそう!って思います。
私は自己愛の攻撃に遭っていた時、同じ土俵に立って、本気で真っ向勝負かけて返り討ちに遭いました。今考えると馬鹿だなあと思います。
だって、こっちがいくら真剣に話して分かり合おうとしても、むこうは論点ずらし作戦で、絶対に歩み寄っては来ないどころか、都合悪くなったら後ろ足で砂かけて逃げるだけですもんね。
ま、また時間経ったら、自己愛から絡んで来るんですが。
・僕のように観客席に座るんだよ。(えッ?なるほど!)
最近つくづくこの姿勢が大事だと思います。
ですので自己愛と会う事があって、どんなに至近距離になっても、まるでそこにいない人として扱います。
先日、自己愛とお世話になった方が並んで立ってた時も、自己愛の前素通りでお世話になった方にだけご挨拶しました。
もちろん仕返しはありますが、それも「そんなこと(睨むとか根拠の無い悪口吹聴)しかできないなんて可哀想な人」と思って、憐みの目で見るようにしてます。
・忍ばないといけないなら、明るく忍ぶんだよ。(なるほどーーーッ!)
私もなるほど!と思いました。
ムーミンさんが書いておられた「全体に悲壮感がないような感じで、読む人によっては”おちょけている”と感想を持つ方がいるかもしれない。」ですが、自己愛に対峙する時は、笑い飛ばすくらいの勢いと明るさがないと、ほんっとにこっちがやられてしまいます。
渦中の時はなかなかそれが難しかったり、離れてもなおフラッシュバックで苦しんだりもするんですけどね…。
でも、明るく忍ぶ、名言です!
私もテレホン人生相談をネットでたまに聞いています!勉強になりますね。