乳幼児が愛想笑いをするとき
画像のような自己愛性人格障害者・自己愛ハンニャに強烈な人格否定をされたことを前回書いた。その続き。
人格否定以外に、自己愛性人格障害者の得意技は、以下の通り。
↓
・堂々とした業績の横取り
・頻繁な社長への進言
・職権を乱用した集団による仲間はずし
そこに、常時、ウソと記憶障害と論点ずらしによる責任回避の言い訳をしながら生き長らえる自己愛性人格障害者。
これらは本能から出てくる生存戦略だから、もの凄いスピードで出てくる。(本能には勝てない)
うちの自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャがやっていることは、七五三くらいの年齢の子どもが一般企業で営業部長をやっているのと同じだ。
また、あなたのところの自己愛性人格障害者も、画像の通りのイキモノ(乳幼児)にすぎない。
そして、このイキモノの動き方は決まっている。
例えば、
・あなたが営業マンで死にもの狂いで取ってきた成約があったとする。
・あるいは、あなたがプログラマーで膨大な時間をかけて新システムを構築したとする。
・あるいはまた、会社全体で大きなプロジェクトが成功したとする。
そうすると、(私には分かっちゃうんだけど。。)自己愛性人格障害者は、こう振舞う。
↓
・私が昼夜を惜しんで部下に適切なアドバイスをし続けたから成約できたんです。
(=ママ、ボクちゃんが頑張ったんだよ。)
・私が昼夜を惜しんで部下に教えた技術が生かされて新システムを構築できたんです。
(=ママ、あたち頑張ったでちゅ)
・(特別に才能ある)私が会社にいるからこそプロジェクトが成功したんです。
(=ママ、ボクちゃんが頑張ったからできたんだよね、褒めてほめて~♪)
と、このようになってしまうはずだ(=業績の横取り)。
これは、アメリカ精神医学会の診断基準(DSM-IV-TR)1~9のうちの2番目、
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自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
という項目(=症状)に該当する。
自己愛性人格障害者は、頭の中に描いた空想(=自己愛性人格障害者が作ったシナリオ)をそのまま口に出してしまうという訳なのだ。。
自己愛性人格障害者は、現実と空想の区別がつかない。
現実と空想の区別がつかない病気(=障害)を持っているのが自己愛性人格障害者だ。
ここで、うちの自己愛性人格障害者・自己愛ハンニャの発言をご紹介しよう。
↓

(あっ、自己愛ハンニャは、自分が作ったシナリオにそって、権限ある社長の前だから勿論、最初から最後までニコニコ仮面を付けている)
これは、自己愛ハンニャが突然、社長室にいる社長と私の目の前で、何の脈絡もなく言ってきたこと。
その時期、私がバンバン商談を成立させていたこと、自己愛ハンニャがいくら空想しても私から横取りできないこと、という事実があって、一番になれない自己愛ハンニャが私をこき下ろすことで自分の方が上の立場にいるということを社長にアピールしにきたようだった。
自己愛ハンニャが立ち去ったあと、
という会話になったが、自己愛ハンニャの哀れさを見て、自己愛ハンニャが○処分を待っている犬やネコに見えた私だった。
(親に捨てられ)乳児院に預けられた乳児が職員に愛想笑いをするというのをどこかで読んだことがあるが衝撃的な話で、死にもの狂いのニコニコ顔で、権限ある社長に、特別な自分・能力ある自分をアピールする自己愛ハンニャと愛想笑いをする乳児が妙に重なる(自己愛ハンニャ哀れなり。)
自己愛性人格障害者は、現実の自分を受け入れると崩壊してしまうと思っているのだろう。
自己愛ハンニャは、何も出来ない自分=能力のない自分=お母さんの期待に応えられない自分はダメな自分だから、お母さんの期待する自分になろう!(そうでなければ生きていけない)ということに一生懸命になって生きてきたことだろう。
ママ、ママ、ママぁ~という乳幼児のまま時間がたってしまって肉体の成長と言葉の習得は手に入れたが、反抗期がなかっただろうから自立の機会はなく、大人の人格を手にいれないまま今日を迎えてしまったと言える。
↑
これは早稲田大学教授の加藤諦三氏の言葉だ(人生テレフォン相談を聞いていた時のもの)。
自己愛ハンニャは、現実の自分がでも良いじゃないか?と思うんだけどねえ♪
私たちはおとな気なかったと反省する時がたまにあると思うが、私などは、大人の人格になり切っていないかもと感じたりする時もある。
自己愛性人格障害者はトラウマをもっているのかな?
優秀な自分でなければお母さんに認めてもらえなかった(愛情をもらえなかった)から↓
・失敗しちゃったあ
・間違っちゃったあ
・知らんかったあ
・スキル不足で自分には無理
等々と素直に言えないのが自己愛性人格障害者なのかな?