親に捨てられて乳児院にいる子どもたち
え~、世の男性が好きな、はかな気で子どもっぽい、弱々しいそれでいてペッピン―好みの顔と容姿をしている女性(竹久夢二の描くような)について少々。
はかな気というだけで男性はオレが守ってあげたいという思い(本能?)から、一目ぼれという過程を経て恋に堕ち、そのはかな気な女性と親しくなったりする。
はかな気・子どもっぽい女性というのは、還暦過ぎた私(女)から見ると、実に危うい存在にしかみえない。
きっと何か問題を抱えてるゾと思ってしまう。
良い子を演じさせられ続けていたんだろうな、きっかけがあれば爆発するぞ、ボーダーちゃうかあ?等々の思いが脳裏をかすめてしまう。
・自分はこう思う。
・自分はこう感じる。
・自分はこうしたい。
というふうに、きちんとした自分を持っている(自我が育っている)女性は、男性にも女性にも媚びたりはしないし、人の意見に合わせて生きていくことなどしないから、はかな気・子どもっぽいというふうにはならない。
はかな気・子どもっぽい女性と付き合ったことがある、あるいは結婚した男性は、しばらくしてからその女性の、
(はかな気な女性は、やっぱり子どもだったんですよねえ♪)
心理学でいう愛着障害を抱えている人は、幼いとき、親の言いつけを聞き入れなければ(良い子でなければ)振り向いてもらえなかった環境があった、と言われている。
サイコパシー度の高い自己愛性人格障害者の親は、本当は自分の欲望を満たすことだけが目的なのにあなたのためを思って言ってるのよ。などと言って、本当は自分がやりたいのに、子どもを利用して(自分の持ち物のように扱って)ワガママを押し通す。
その時、3才くらいの子どもが(例えばピアノを)自分はやりたくないと言えるだろうか?
大好きな母親からあなたのためを思って言ってるのよと言われた子どもは、それを拒否できないだろう。
拒否できる子は、3才くらいで自我を爆発させて、何でもかんでも拒否する反抗期を迎えることができ、自立し始め自我が育っていく。(第一反抗期ですね。この時期は大変ですが、反抗が激しいほど正常だということなのです♪)
しかし、ボクちゃんがお母さんの言う通りしないと、お母さんが悲しむと思って、やりたくもない事を素直にやり続ける子どもは手がかからない良い子のまま成長するかもしれない。
もう一度、子どもは(中2くらいと言われている時期に)反抗期を迎えるが、この時も子どもがボクちゃんがお母さんの言う通りしないと、お母さんが悲しむと思って良い子を演じ続けたらどうなるのだろう?(子育てが終わって自己愛性人格障害者に遭遇した今、そう考えると、ぷつッ、ぷつッ、とサムイモ(鳥肌)が出てくる。
とにかく、あなたのためを思って言ってるのよは実に残酷な言葉かけだ。
それなら、
ピアノの練習をしなさい。
ふつ子:
やだ~やだ~ピアノはやだ~何でアタチが~
ふつうママ:
何故もへったくれもないの!うちは昔から女の子はそうと決まってるの!
大人の世界の職場や友人間ですら自己愛性人格障害者と思しきヤツ(失礼、人とは思えないので)に対抗できかねているのに、ましてや子どもにとって絶対権力者のような母親からあなたのためを思って言ってるのよ、だからそれをやりなさいと言われて否定できる子どもは、やはり居ない。
加藤諦三先生が、
結果、自分は(=子どもは)親の(=周囲の人の)気に入るようにしなければ大事にしてもらえない(=愛してもらえない)という世界観を持つようになるそうだ(なるほど!)。
噴出する人格障害で、わが社の営業部長・ニコニコ仮面が逝ってしまった(発狂した)ことを書いたが、ニコニコ仮面は、まさにはかな気・子どもっぽい女性だ。
ニコニコ仮面の実家は伝統ある家柄で、世が世なら、ニコニコ仮面はお姫様だ。
しかし、その「お姫様」は年齢に釣り合わない幼さを感じさせ、その家柄のもつ気品(凛としたもの)は感じさせない。
私は常々、ニコニコ仮面のそのニコニコし過ぎる表情に何かしらの違和感を感じていたところ、まさに爆発してしまったという訳だ。
大人の女性なら幼さではなく色気を、はかな気ではなく気品を持っていると思う。(色気と気品については別の機会に)
それで、ニコニコ仮面のようにニコニコしすぎるタイプとして、ボーダー(境界性人格障害)や演技性人格障害や自己愛性人格障害などがあるが、あるデータによると、
(うっわ~、まさに、境界性人格障害者のニコニコ仮面や自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャがそうだ!)
・好かれたい愛してもらいたい
・良い子(人)だと思ってもらいたい
・自分だけを特別に可愛いがってもらいたい
保育士に愛想笑いをする乳児たちと同じだ!(ちょびっとだけ、憐れじゃないか。。。)
憐れなのに傲慢な自己愛性人格障害者
自己愛性人格障害者の傲慢さは、何ら根拠のない自信に支えられたもの。
うちの自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャは、
・特段能力が高いわけでもなく(実際は並以下)、
・美貌容姿が優れているわけでもなく(実際は並以下)、
・ただの凡人なのに
えっ!?その程度で?自慢する?という周囲の低い評価があるが、堂々と自信たっぷりに振舞うことができる症状をもっている。(前頭葉機能不全なのです、お脳のやまいなのです♪)
自分だけを特別に可愛いがってもらいたいという、乳幼児が母親にしがみ付くようにして手に入れている愛情を、覚えてしまった大人の知恵を駆使して(言葉を駆使して)、狂気の努力で手に入れるのを生業にしているのが自己愛性人格障害者なのだろう。
自己愛性人格障害者が狂気の努力をしているのだから、健常者の生半可な努力では(今さら言うが)勝てることはない。
(相手の自己愛性人格障害者は、生存戦略というのだそうですが、命かけてますから。。)
・ママはボクちゃんの言うことなら何でも聞いてくれるんだ
・どうだ!ボクちゃんは偉いんだ
という幼児的万能感は、乳幼児には自信をもたらすが、大人には傲慢をもたらすだけだ。
磨け!人間力―直観力・洞察力を研ぎ澄まそう♪
またまたお面の話に戻るが、相手が仮面をつけているかどうか(ニコニコして良い人アピールしているかどうか)を見抜くには自分自身が大人になっている事がまず必要だと思う。
「大人とは?」を考えていけば哲学的な思考展開が要求されるが。
自己愛性人格障害者と向き合うことは、実は自分自身と向き合うことに繋がる。
「自分は乳幼児から脱却してちゃんと大人になっているのだろうか」と考え始めたりするようになると思う。
(乳児院でおもちゃの取り合いをしなくて済むようにするためには、自分はちゃんと大人になっていなければならないからねえ。そういう大人の振る舞いをメタ認知と言うそうです。)
私は、自己愛性人格障害者などというバケモノがこの世に存在するなど知らなかった時は、自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャの言動にいちいち腹を立て傷ついていた。
そして、
自己愛性人格障害者の方が、私にいじめられている可哀想な被害者になっていた。
自己愛性人格障害者から、いままで聞いたこともない・言われたこともない言い方をされた私は、その場では人格否定された事も分からず、後からジワジワグサグサきて、精神をやられていった。
闇夜の辻斬りに遭うように、避けることもできない、周囲の人にその被害も分かってもらえない、理不尽きわまりない恐ろしい仕打ちを自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャから受けた訳だ。
自己愛性人格障害者は、本当の姿は「ママーっ、ボクを愛して!僕を見捨てないでぇーっ!」という心の叫びをもった小さい小さい存在なのに、
振る舞いは、「ガルルーーっ!」なのだ。
(実際、いきなり噛みつかれて血だらけになります)
だから、自己愛性人格障害者には近づかないのが一番良いから見抜き方を知りたいけれど、お面をつけているから見抜きにくいのだ。
いろんな心理学者・脳科学者の先生が(その著書で)言っているように、自己愛性人格障害者との初対面で注目すべきポイントは、
・さわやか過ぎる
(自己プレゼンが抜群にうまいから、饒舌で面白くて親しみやすく、魅力を感じるかもです)
自己愛性人格障害者との2回目以降の関わりでは、早い段階で注意すべきポイントは、
え~、お脳についてはド素人の還暦過ぎた私の経験値で恐縮するが第一印象のあまり良くない人と親しい人間関係を築けているというもの。
それから、もうすぐ90才になろうかという、方向感覚抜群の動物的直感力を持った、私の母・ノンビリママ曰く、
と言う。ノンビリママは、ストークしうとめ(姑)を一発で見抜いているから、私はノンビリママの言うことが、私の直感の正しさを裏付けてくれていると思っている。
(え~、今回の結論はニコニコし過ぎる、はかな気、子どもっぽいには気をつけろ!でした♪)