自分を信じる事と自分を疑う事
他人のことばかり-自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャのことばかりを分析しているが、自分はどうなのか?ということも実は常に考えている。
いや、書くことで自分の考えを客観的に見ることになり、自己愛ハンニャに意識が向いているようにみえて実は、自分と向き合っている、というふうに感じる。
(取りとめもない事を少しダラダラ書きますが。。)
自己愛ハンニャは人間という感じがしないとか、ノーカンメってAHOまる出しやんと思う反面、人はバカじゃないから(人間を見抜く目をもっているものだかから)本物とニセモノの人物を見抜けると思っている。
自己愛ハンニャの持っている、健常者のレベルとは比較にならない情緒の不安定さ、壊れやすさ、自信のなさ、自分を大きく見せることだけに夢中等々の症状が、どんな精神状態なのかが最近すごく分かるようになってきた。
ここで、自分自身の、精神的に不安定だった時期のことを少し考えてみる。
まず、中学2年生~大学2年くらいまでの青春時代がそうかな?この時期は、生き方が分からないとか、進路に悩むとか、未来への悩みが中心。
また、うちの親ってヘン?とか、
もしかして、ヘンな親に育てられて自分ってヘンかも?とか、自分は人とは違う。人とは違って不幸かもしれない
等々、人と自分に違いがある事に無意識に衝撃を受け、(無意識に)のたうち回って苦しんだ結果人を認め、自分を認める事にたどり着いた時期だったと思う。
この時の―青春時代の情緒の不安定さは、自己愛性人格障害者のそれと同じくらいのレベルだったのかな?いや、もっと精神年齢レベルが高いのかな?
さらに“人(親かな?)に認められたい”、”自分より上だと感じている人が持っている境遇がほしい(嫉妬かな?現実から逃げるためかな?)”と思っていたように思う。
まさに自己愛性人格障害者の症状、“人から認められることを異常に期待する”そして“嫉妬心”をもっていたように思う。
だが、必死で人として成長していった結果、とにかく自分を認め、人を認めることができる自己を築くことができたように思う。
あと、社会人になってから、自己愛性人格障害者並みに情緒が不安定になったのは失恋した時ではないかと思う。
いや、もしかして恋愛中の方が不安定だったかもしれない。
“恋人がいつか自分から去っていくのではないか”とか、“他のどの女性よりも(その魅力を)認めてもらいたい”とか、失恋後は、“自分をふった相手を見返してやりたい”といった邪な気持ちがでてきて、やはり不安定な状態だったとは思う(女のサガまる出しですな)。
↑
ああ、これか!自己愛ハンニャの中にあるものは!と、書きながら再確認する。
特に、“他のどの女性よりも(その魅力を)認めてもらいたい”がそうだ。
だから自己愛ハンニャがいつも不安で嫉妬にかられている、という情緒の不安定さがあるんだなと思う。
だが、恋愛期間なんて、何十年も続くわけではなく、やっぱり冷めてくるし、失恋なんて、1ヶ月も落ち込んだりしない。(人によるかもですが)人は、その時期を、一通り経験してやり過ごすだろう。
しかし、これをやり過ごさないのが自己愛性人格障害者なんだなと思う。
自己愛ハンニャなど、私が入社して以来4年間365日?24時間?もの長~い時間を、ターゲットの私に嫉妬し続けているのだから。(口に出して言ってきたりもします。)
いわば、脳が熱病に罹っている恋愛と同じ状態がずっと続いていて、“他のどの女性よりも(その魅力を)認めてもらいたい”-すなわち、“他のどの人よりも認めてもらいたい(認められるべき)”という欲求を死ぬまで持ち続けるのが自己愛性人格障害者なのだと思う。
あと、仕事で失敗したり、家族に不幸があったり、パワハラを受けたり解雇されたり、病気になったり、人間関係がこじれたり等々”人生いろいろ”で、まあ、生きていたら良い事より悪い事の方が多いのが当たり前だから(こんな世の中だからね)、情緒不安定になったりする時期が多々ある。
とはいえ、健常者は明確な原因があって情緒不安定になるのであって、自己愛性人格障害者のように特に原因もないのに情緒不安定が普通の状態というのとは違う。
え~それで、青春時代と恋愛中・失恋時に自己愛性人格障害の症状が出る!という一つの結論が出たと思うが。。。
(文脈がオカシイかもしれませんが)
で、タイトルの“自分を信じる事と自分を疑う事”を使い分けながら生きている自分だが、これ、ちょー便利。
そして反省心が出たら相手に謝れるし、また、二度と同じミスはするまいと思える。
(よって、ストレスは溜まらず、問題はすぐに解決するという訳)
逆に、
どう考えてもいくら考えても自分は間違っていない、と思えたなら落ち込む必要がなくなる。
(よって、ストレスは溜まらず、問題はすぐに解決するという訳)
え~、何が言いたいのかというと、これ↓
ということ。(だと思いません?)
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一昨日のイマド・キノ子の話だが、彼女は完璧に自己愛ハンニャに取り憑かれてしまった。(例の、自己愛性人格障害者の人をコントールする天才力で)↓↓
イマド・キノ子の中では、おそらく、”ムーミンさんは(私は)悪い人で、自己愛ハンニャさんは良い人”ということになってしまっているのだろう。
私としては残念な結果になったが、世の中うまくできていると思ったことが起きた。
それは、イマド・キノ子が家族に電話をしているところを見たのだが、なんと、↓
金切り声で、(”半狂乱”という表現がピッタリで)相手は母親かな?
“だから言ったでしょ!!!”とかなんとか言っていた。
イマド・キノ子は人格が変わって別人だった。
あっ!だから自己愛性人格障害者の召使になれるんだ!と腑に落ちてスッキリした私だった。
そういう場面を見るチャンスが与えられたことに感謝する。
イマド・キノ子は会社では、自作自演で別の人格を演じていた!ってことだ(恐ろしい)。
これが分かったから、彼女から”ムーミンさんは悪い人”だと思われていても、私は痛くも痒くもなんともない。
人に気に入られるために、本性を隠して良い人を演じていたような女だったから、関わらなくて正解だった!
(会社の採用面接は、お受験のように母親同伴がよろしいようですな♪)
プロ野球選手のスカウトマンが、その母親の体つきをみて判断するというのを聞いたことがあるが、企業の人事担当者さま、母子関係を見てから採用するかどうか判断するというのはいかがでしょう?
イマド・キノ子は内弁慶っぽいですね。
私も自己愛は自分を信じてないと思います。
だから努力して成長しようとせず、他人の足を引っ張ったり、誤魔化したりするんです。
五歳以降、体しか成長しなかったんですね。