サイコパシー自己愛性人格障害者のマーキング―人間じゃない | 自己愛性人格障害者との闘いの日々
 

サイコパシー自己愛性人格障害者のマーキング―人間じゃない

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自己愛性人格障害者のタゲ子
管理人

モラルハラスメント仕掛け人の正体は自己愛性人格障害者です!

プロフィール

 


私のん私のん私のん私のん

自己愛性人格障害者の業績横取りえぇ~い、うっとおしいんじゃ、ボケ!

本日は、自己愛ハンニャに丸ぱくりされたデータのこと。

題して丸ぱくり事件

私が丸2年かけて入力した社内のデータが、この事件が起きたことで、その全てを自己愛性人格障害者にかっさらわれてしまった。(ここでは、別の業績の横取りをされている)

電子データの著作権は、その流動性から、自己のものと主張するのは難しい。

(これ、みなさん、気を付けなはれや)

“ファイルオープン時にパスワード設定!”、”右クリック禁止”、”USB媒体での保存不能”等々をしておけば良かったな、と後悔している。

まさか、社内に窃盗犯がいるとは思わないから、情報は共有するとの前提で、企業などのPC環境は複数ユーザーが閲覧できるようにしているはずだ。うちもそうだ。

“総務で使うような書式のひな型”~”全社員がその業務で使う書類のひな型”を、(誰もが使用可能な)PC(仮にユーザーPC)に入れておいたら、”あれれ?”。

後輩のケンコウ君が、↓

ケンコウ君:
報告書の書き方ですが、これでよろしいですか?

と言ってもってきた報告書を見てビックリ。

報告書のひな型は、ユーザーPCに私が作って入れておいたものだ。
ところが、”あれ~ぇ?”と、自分が作ったものと微妙に違うのが分かる。

線の太さやフォントが違う。
項目のタイトルが、”訪問年月日”が”訪問日”にかわっている。

そして、自己愛ハンニャがケンコウ君に、こう↓言ったという。

自己愛ハンニャ:
社長に報告書を出すなら私が作った報告書のひな型があるから。。
(と言って、私が作ったものを加工し直したてケンコウ君に差し出しながら、)

これを使うようにニコニコ二~

と。

自己愛ハンニャのしたことは、↓

他人(私です)が作った原本となる電子ファイル(Excelで作成したもの)を加工した上で、”自分が作った”と主張する、というもの。(パクリです)

(訴えるゾ!)

私がギャーギャー言わないから(周囲に言い散らかさないから)、こんな事件や、プリンタ窃盗事件が起きることにもなったのだが。

・社内では、私が入社するまでは、従前から使い回しをしていて文字が不鮮明になってしまっている書類のひな型しかなかった。
・私が入社した後に、形式も新しい報告書等のひな型を使うようになった、という経緯があるから、社内には書類のひな型はムーミンさんが作ったものとの認識はあった。

この状況で、自己愛ハンニャが『あたしが作った』と言ってのけることができる訳だから、その異常さはこの世のものではないことが分かる。

ブルックの定義の、自己愛性人格障害者が人からどう見られるか、ということに関する自尊心の病理から、↓

自己愛ハンニャは、↓

人から賞賛されることでしか自分を保てない

だが、賞賛に値するほどの人格も実績もない

これを無意識に感じて知っているから

相手の人格否定をすることで自分の評価を上げるしか手立てがない

(私たちは、この時にエサにされてしまう)

と昨日書いたが、この丸ぱくり事件は、下の↓赤字のような事なのかな?

人から賞賛されることでしか自分を保てない

だが、賞賛に値するほどの人格も実績もない

これを無意識に感じて知っているから

人から賞賛されるに違いないと思った相手の成し得た業績を丸パクリしてしまう

(ケモノだから良心がないため平気で盗める)


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処分を待っているケモノ-自己愛性人格障害者の痛々しさ

で、社内では、
自己愛ハンニャが専務クラス、私がぺーぺーの主任。

これは、一般的に泣き寝入りのパターンだ。

煮えくり返るハラワタ、怒り怒髪天を突き、相手に対する憎しみが沸々と湧いてくる状況だ。
私も、自己愛ハンニャが人格障害者だと知らなかった時は、発狂していた。

だが、自己愛ハンニャが処分を待っているケモノだと分かった時から、瞬間腹はたつが、すぐに痛々しいという憐憫の情が湧くようになっていた。

自己愛性人格障害者はケモノうっとおしいとは感じるが、←のように見えてしまう。

(たぶん、家で落ち着いてPCに向かっているから?)


(しかし、この記事を書いた2年後は、←のようにしか見えない。)

自己愛ハンニャとの遭遇で、脳ミソがタップンタップンと揺れ動いているのではないかと思うくらい考えに考え抜いた4年間だったが、その中で、私は、宝を見つけた。

自分を認めることができる幸せだ。
すると、また人をも認めることができる。

私自身、健全な家庭で育った訳ではないから(幼少時は伯母に育ててもらっている)、”自分は、どこか人としてオカシイところがあるのではないか”、という不安は漠然と持っていた。

だが、幣サイトで書いているような事を、報告書として社長に出すためのレポートとしてを書いているうちに、自己愛ハンニャの事も明確に分かったが、同時に、自分自身のことも明確に分かった。

そして、自分が自分であって良いんだ!との確信を得て、私は生まれ変わったように感じた。

自己愛ハンニャからの4年間の攻撃は苦しかったが、それは、新しい自分が生まれるための陣痛だった!


     

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