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自己愛性人格障害者からモラルハラスメントされても潰れない自分
(根っこの張り具合で倒れるかどうかが変わってくるのでしょうねえ♪)
(徒然なるままにダラダラ書いています~)
日々、自己愛性人格障害者のような○チガイ?(ケモノだと私は思っていますが)と関わっていると相手の自信満々な姿に「もしかして自分が間違っているのかな?」と反省のような自信喪失感や罪悪感を抱かされる。
(反省・罪悪感は、ホニュウ類のなかでも人間だけが持っている感情ですね。)
私が住んでいる地域のメンヘラ病院の看護士さんが言う↓
(まさにこれ状態!)
自己愛性人格障害者の生存戦略はすべて本能から出ているモノだから自信たっぷりになるのか。。
今から数十年も前のこと。に人間に塩水ばかりを与えたらどうなるかという恐ろしい実験をしたドイツの医者がいるが、被験者は尋常ではないノドの乾きに終いには掃除用のバケツの水を飲む・モップから垂れる汚水を飲むようになったという。
「生きたい!」という本能は「常識なんてクソ食らえ」のなんでもあり状態を引き起こす。
本能とはそういうものだ。
昔昔大昔、父は1940年代の食料難の時代を生きていたとき、今食べるのが何もない!空腹なんてものじゃなく飢餓感で意識さえ朦朧としだした時「(食べれるものを)盗もう!と思った」と言っていたことがあった。
父は「近辺の雑草やカエルなどを食い荒らした」と言っていたが(父が盗んだかどうかは知りません。)理性との闘いだっただろう。生存本能が揺さぶり起こされてきたなら理性なんて吹っ飛ぶのだ。
とにかく上記のドイツの医者による実験は正気の沙汰ではなかった。
そしてこの正気の沙汰ではないことが自己愛性人格障害者の脳内では普通に起きていることな訳。。。(こわいこわい不気味や~)
(自己愛性人格障害者は異常に興奮してるでしょ?理性を司る大脳皮質は飾りにくっついてるだけなんでしょうねえ?)
だから自己愛性人格障害者は生存本能むき出しのままの行動となる。それを「欲しい!」と思ったわが社の自己愛性人格障害者・自己愛ハンニャのように。。。↓
訳だ。(ドロボーなんてクソ食らえ!屁のかっぱ。)
で、そういう本能に忠実に生きている生き物が自己愛性人格障害者だが生存戦略が本能から出ているからそのエネルギーは健常者の私達が想像することすらできないくらい大きい。
自己愛性人格障害者の被害者が毎回「え”ーーっ!!そんなことまでするか!?」とビックリさせられる通りだ。(やっぱり自分がサバンナの真ん中に置き去りにされた感をぬぐえません)
もはや自己愛性人格障害者にロックオンされないためには、その視界に入らないようにするしか手立てはなくなってくる。
サイコパスはあなたがエサにしか見えないから、いつロックオンされてもおかしくない。時間の問題だ。
(ターゲット・エサではないがアクセサリー・道具と思われている)召使か奴隷、あるいは取り巻きになれない人が幣ブログを読んでくださっていると思うが、「自分は自分らしくありたい」と思う人が苦悩を抱えてしまっていると思う。
人間がその人らしく生きる権利を奪うのが自己愛性人格障害者だ。
その自己愛性人格障害者に対抗するには抽象的だが「ぶれない自分」が必要だと思う。
自己愛性人格障害者と同居していて胃潰瘍だけですんだ経緯
姑のうっとおしさで管理人が胃潰瘍を患ったことがを書いたが、なぜそうなったのか今ならよく分かる。
上のメンヘラ病院の看護士同様、自分がどういう状態になっているのか、自分は正しいことをしているのか、それを分からなくさせられるからだ。自己愛性人格障害者が(無意識に=本能的に)行なう心理作戦に負けてしまうからなのだ。
(その時私は、うつ病寸前だったかもしれません。胃潰瘍になったから救われたようで、ダメージが脳ではなく胃にいったのが良かったと思います。)
自己愛性人格障害者は、怪しげな我利我利教とか親神様教の教祖と同じ
人格が正常に発達した人なら↓
などと言われても直感的に「オカシイ」と思うだろう。
(ここで迷ったり直感的に違和感を感じない人が自己愛性人格障害者の召使・奴隷・取り巻きになるんでしょうねえ。。)
自己愛性人格障害者からモラルハラスメントをうけているターゲットは、毎日、本当に精気を吸いつくされる。
↓
(ターゲットでなくても、自慢話を聞かされるだけでもエネルギー吸い取られます。)
自己愛性人格障害者が周囲にいる環境、自己愛性人格障害者からモラルハラスメントをうけている環境は人がサバンナに置いてけぼりにされた環境と同じだから。いつどこからやってくるかもしれない凶暴なケモノに怯え恐怖と不安の中を生きていかねばならないのだから。
そうすると「なんで自分がこんな目に遭うのか」などと考えているヒマはない。
「何で凶暴なケモノがいるんだ」とか「何で・・・?」と考えることに全く意味はない。
ケモノがいるところに自分が生まれてきた。そういう環境が自分に与えられた場所なんだ。と(悟り?って言うんですか)現実を受け入れることが先決だ(と思う)。
受け入れること。これは案外むつかしい。
その言葉の意味をきちんと考えていくと(哲学的っていうんですか)受け入れるってどういう事?受け入れる、受け入れる。。なかなかむつかしい。
例えが適切ではないかもしれないが、
家の周りにいる小さなクモAが巣を張っている。
「空家みたいでヤだな」と思ってそれを取り払う。
すると、翌日また同じところにクモの巣がはられている。
このクモAはストレスを感じながらクモの巣をはっただろうか?と考える。
もしストレスを感じたとして短命になっただろうか?と考える。
家の庭に雑草Bが生えている。
根っこまでとれないから出ている部分だけをむしりとる。
しばらくするとまた雑草Bが目立ってくる。
雑草Bはストレスを感じて枯れてしまうだろうか?(枯れない)
足で(グリングリンと)踏みつけようがまた蘇ってくる。
クモAも雑草Bも、何事もなかったかのように淡々と生き続ける。
これってスゴイ!と思う。
そういう環境を受け入れているという事なのでは?と思う。
見過ごすのでもなく、愚痴るのでもなく、翌日くらいには蘇っている。
なんてスゴイんだ!起き上がりこぼしかな?根っこだ!(とりとめのない話で申し訳ありません)
ここは動物園か!?
(あっ、その前にわが社の自己愛性人格障害者・自己愛ハンニャが、今回も私の業績をパクりました)
≪わが社の話です。愚痴です≫↓
10名いる営業部長のうちの1人・ウテバヒビキ君に同行して、ウッカリ商事へ行ってきた私。
誰もウッカリ商事へ営業へ行かないからウテバヒビキ君と一緒に行き商談をまとめてきたのは良かったが、ここは以前に自己愛ハンニャが一度だけ営業しに行ったことがあったらしい。
今回ウッカリ商事との商談が成立したことは社長に報告済。ところがいつもの役員会議(社長+10名の営業部長)で自己愛ハンニャが↓
と言った、と憤慨マックスのウテバヒビキ君から報告があったのだ。
(また勝手に、私が社長室にいない時にウッカリ商事の書類を盗み見しやがったな=コピーしやがったな)
私はすでに社長に「ウテバヒビキ君と一緒に行って商談を成立させてきた」旨の報告を済ませているから社長にはバレバレなのに、だ。
上記役員会議では、真実を知っている社長が自己愛ハンニャには何も言わなかったらしく、ウテバヒビキ君の憤慨はしばらく収まらなかった。ウテバヒビキ君は、会議では↓
あれはムーミンさんのおかげですよ。ムーミンさんが居たからまとまったんですよ。
と言ったらしいが、役員会議のレジュメを自己愛ハンニャが作成していたからその時点では公的には自己愛ハンニャの手柄になってしまっていた。
そして。。。
自己愛性人格障害者の症状は伝染するから、副社長・ボンクラーノや営業部長・ウームマンダム氏なども他人の手柄を横取りし出したのだ。
今回は(今月は)、サイバーおしん(初登場です)が商談成立させたパックリ商事と管理人のビックリ商事は、ボンクラーノとウームマンダム氏の営業管轄だったことから(一度も営業しに行かないから社長の許可を得て各々が開拓しにいったにも関わらず)、自己愛ハンニャの作成したレジュメにはちゃあんとボンクラーノとウームマンダム氏の業績として書かれていた。
まるでエサの奪い合いだ(動物園でしょう?)。
だけどこんな会社は世の中にはごまんとある。
私は大学を中退した後、就職するまでの間しばらく教材販売の(飛込み)営業会社でアルバイトをしたことがあったがその時の話を少し。
世間知らずの私は、そこの先輩社員Aに「訪問先のBさん宅ですが手ごたえがありました。夕方の忙しいときでしたので『明日来てください。そのときに契約します』と言われましたので明日行きます。」と報告。
そして翌日朝一番の報告ミーティングで、先輩社員Aさんが「Bさん宅の契約がとれました!」と言うのだ。
私は「え”っ!Bさん宅のところは私が今日いくはずになってるのに。。。」と思ったが言えず終いだった。
先輩社員Aは、私が「明日行く」よりも早く、私から話を聞いた時点で(夕食時か夜の時間帯だろうけど)即効B宅に行ったことになる。
(横取りされましたあ~。。。営業会社とか、政界とか、利潤追求している会社や権力・名誉の獲得に全エネルギーをかけて生きている人がこの世には存在するんだ!ということを学んだのでした♪)
(え~~本日の結論は「人間は動物園で暮らしている!」「見物人にならなければ!」と思った管理人でした♪ダラダラ書きましたがお付き合いありがとうございました!)