自分は間違わないという根拠なき自信を持っている自己愛性人格障害者
自己愛性人格障害者の症状で有名なものに絶対に非をみとめないというのがあります。
自己愛性人格障害者がどんな言葉を使って非を認めないか、というと、わが社の自己愛性人格障害者・自己愛ハンニャ(総務も担当している営業部長)のようになります。


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これは、自己愛ハンニャの仕事となっている招待状送付について、社長が自己愛ハンニャに聞いたときのものです。
自己愛ハンニャがサボっていて入力していないから送付できなかった訳ですが、自己愛性人格障害者は入力されていないという表現をするのです。これが自己愛性人格障害者の絶対に非をみとめないという症状なのです。
さらに、これ↓と同じことが起きています。
(精神科医の片田珠美さんのHPから引用)
たとえば、私が、本当は沢尻エリカみたいにキレイなはずなのに、鏡に映った姿が不細工なのは、誰かが鏡に細工しているからに違いないと確信しているような場合はこれを妄想と呼ぶ。客観的には荒唐無稽と思われる内容であっても、本人が真実だと確信しており、しかも周囲が「そんなことはない」と訂正しても、一切耳を傾けなければ、妄想ということになる。
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(攻めるつもりで言ったのではなく、みんなに配る前ミスを発見したことがあって、みんなに正しい内容を伝えることができたのですが。。)

と、毎回こう↑なります。
社長相手でもこうなります。
ある日、冷静な社長が珍しくテンションも高く(興奮した状態でしたね♪)社長室に入ってくるなり、そこで仕事をしている私にこう↓言いました。


実は、こんな↓ことがあったのでした。


・・・
誰も触ってないよ。これをどう説明するんだ?!
すると↓

と、なって自分のミスを認めることは未来永劫ありませんでした。
責任逃れをする時に(卑怯だけれども)私じゃない!という言い方はあります。
(恥ずかしくて言えないけれども)疲れてたから。忘れてたから。勘違いをしてたから。という言い方もあると思います。
そして、例え重罪犯でも、厳然と存在している客観的な証拠を突きつけられたら白状して認めてしまうと思います。
しかし、自己愛性人格障害者は平然と誰かが細工したと自信満々に言えてしまえるのです。
この異常性をもっているのが自己愛性人格障害者なのです。