対自己愛性人格障害者にピッタリの性格
これって天性のものなのでしょうか?
非情!
先日、わが社の(わたしの部下の)ヒスレバ花子さんから、こう↓言われました。

上記記事で、わたしは彼女のことを「笑顔以外の、気くばり、言葉遣い、優しさ、頭のよさ、品格etc.を持っている云々」と書いています。


私は心配している人のことを家に持ち帰るからダメなのよねえ。ほっとけない。


というふうな会話があったのですが、彼女とは会話のキャッチボールができて、彼女もわたしもお互いがお互いに言うことを自分の我の領域にまで流していって受け止め、同意・反論し合うことができます。自分がありのままで居られて、きちんと反論ができる会話ができるのです。
エーリッヒ・フロムの言う「ホモ・ネガンス」とはこういう事なのかな?と思ったりします。
人はみなそれぞれ違った感性をもつ存在ですから、相手がAだと思うことを「わたしはBだと思う」と相手に否定的な意見を言える人が人間だ、みたいなことをフロムが言っていると記憶しています。
人の意見に従って(これをやれば尊敬される!と思って)自分の態度を決定するのが自己愛性人格障害の症状ですが、これは承認要求と呼ばれています。
自己愛性人格障害者の場合、承認要求を満たすために生きていると言っても過言ではありません。
ヒスレバ花子さんは、自己愛性人格障害者とは全く反対の生き方をしているのは勿論のこと、わが社の中心に居る人格障害者集団の役付きたちとは全く異次元の人です。
ヒスレバ花子さんを知ったころ、わたしはいつものように(人格障害者集団の役付き達に接するように)、尻拭い的な処理ばかりしていたからでしょか?こんな↓会話をしています。


(あちゃ~!当たり前の話やわな?クセが出てもうたあ~)
久々に大人な人に出会って、自分がいかにヘンなことをしていたか分かりましたねえ♪
社長から以下のようなことを刷り込まれて?いたため、咄嗟に反応したことが大人な対応ではなかったようでした。

役付きのみんなのバックアップ(尻拭い)ができるか?管轄は無視してバンバン営業を取ってくれば良いんだよ。
昔、千葉真一と野際陽子主演の「非情のライセンス」なんてのがありましたが、あまり良い響きではありません。
web辞書では「人間らしい(思いやりの)感情を持たないこと。つめたいこと。」とありますが、本来は仏教用語で悪い意味ではありません。
説明が難しいので結論を言うと、ヒスレバ花子さんが言った「非情」の意味は、↓
・かわいい子には旅をさせよ。
と同じ意味合いのものでした。
なるほど!自分は間違っていなかった!という自信を得ることができるじゃないか♪
と思っていたらこんな↓ことを思い出しました。


たぶん、わたしは自己愛ハンニャに非情のライセンスを突きつけていたと思います。
徹底して無視・無関心を貫いたからこそ、自己愛ハンニャが徹底してしがみついてきたのだと思います。
相手に対して「それは違うと思います」というのも含めて自分の意見はストレート?ハッキリ?言う自分ですが、自己愛ハンニャはそれが許せずに私を敵認定したのでしょう。
その後の自己愛ハンニャからの凄まじいモラハラは、社長の弁から想像すると「ターゲットを潰すんだ!」というよりも「ターゲットを超えるんだ!」という意味合いだったのかもしれません。
自己愛ハンニャさんはあなたに認めてもらいたいんだよ。か。。。
わたし、そんなにも自己愛ハンニャに無視・無関心でいたのかな?