明けましておめでとうございます♪本年もよろしくお願いいたします。
いい女・いい男の見分け方ってことね―すべては品格
ホンモノを見分ける目なのかな?対自己愛性人格障害者作戦で最終的に必要なものは!(あっ、わたし、目は付いているだけです♪)
自己愛性人格障害者を見分けることができる人は、ニセモノを見抜ける人なのかな?と、最近思います。
目利き。今で言う鑑定人ですが、どっちが目利きでしょうか?↓
・ホンモノだけを見て学んでいく
ニセモノとホンモノとを比較しながら学んでいた人は、いざという時迷いが出るそうです。
これは50年くらい前に社会科の先生から聞いたことですが、今、この意味がよく分かります。人間にも当てはまることなんだ!と。
(ホンモノの人間という表現を使いますね)ホンモノの人間の親・先生・同僚・先輩等々に触れてきている人は、ホンモノの大人になれるのだと思います。
そこに、自己愛性人格障害者などのニセモノ(ニセモノの人間)が現れたら、一発でその異質性を体感し、見抜くことができるのだと思います。
そういう意味では、(自分のことです)親や先生がホンモノの人間の大人だったかどうかおおいに疑問があります。
そこで、ホンモノの人間の大人とはこういう人(ヒスレバ花子さん)のことを言うのかな?と思っていますので、少し書きますね。
≪社長が引き抜いてきたヒスレバ花子≫↓
≪役付き経験者の古参社員・パラレルワル子≫↓
わが社の自己愛ハンニャ・ヒスレバ花子・パラレルワル子の3人の人物像を少々分析します♪
・自己愛ハンニャ・・・自己愛性人格障害者だと断定しています。
・パラレルワル子・・・わたしが6年間も心囚われてしまった人です。そう鬱病的な自己愛性人格障害的な?何らかの精神病的なものを感じています。
・ヒスレバ花子・・・・大人の女性とはこういう人のことを言うんだなと思っています。
----------
≪いい女について≫
抽象的な言い方ですが、いい女はオーラが違う、ということでしょう。
・ハッとさせる
・引き込まれる
・言葉に力がある
・黙っているのに目立つ
・その人がいると場が華やかになる
挨拶するときの「こんにちは」の一言だけでも何ともいえない魅力があります。
それは、言葉にその人の心根?感性?品格?が滲みでているからなのだと思います。
「こんにちは」なんて何万回も言ってきていると思いますが、私達が一つのことに膨大な時間・回数を費やすることの一つが挨拶です。
(だから、上手、下手という言い方をすると、いい女は上手なのです♪)
音にのっている感情は耳がとらえている、みたいな事を言いつつ、一つのことを一生懸命やることでその人が輝くと(偉そうに)以下で書きました♪

という社員は、何もしていないのに目立ってしまいます。
これは何でしょう??
・顔の隅々の筋肉の動き方が自然で相手を包み込むような感じに品格がにじみ出る
・着ている服が似合っているのはもちろんのこと服自体に品格がにじみ出ている
・姿勢がバレリーナのように凛として品格が宿っている
・指先まで神経が行きとどきハッとするほど美しい動き方をして品格がにじみ出る
・プチプラネックレスに品格が宿りネックレスの値打ちをあげることができる
声も体も服も持ち物も、その空間までをも品格あるものにしてしまいます。
そして人々は、その品格が放つ心地良さ・清らかさに触れて感動にも似た感覚を覚醒され、うっとり幸せな感覚を覚えてしまうようです。
(品格はどうやったら身につくの?と思いますよね?)
それにはオリンピック選手なみの練習時間が必要だとは思います。(何を練習するかって?)
ありのままの自分でいる練習をするということでしょうか?
コレ、たいへん難しい問題です。
ありのままの自分でいられる人は、何千時間何万時間と泳いだり歌ったりして、やっと自分らしさ・自分の泳ぎ・自分の演奏を引き出せているのですから。。
(で、凡人の自分はどうすればいいの?と思ってしまいますが。。)
オリンピック選手のインタビューを聞いていると、必ず「感謝しています」と言っていますが、これが結論だと思います。
いきなり4つの防衛機制についてですが、
・レベル2、未熟な防衛
・レベル3、神経症的防衛(知性化、孤立)
・レベル4、成熟した防衛(ユーモア、忍耐、昇華、受容、感謝)
自分のことですが(機能不全家庭で育ってますから、自分を守るために激しく防衛機制が働いてきています)、いろいろ考えた結果、以下のような感じかな?と思っています♪
・知性化=分析グセがついている
・孤立=きらわれて何ぼのもんじゃいと思ってしまう
レベル4、成熟した防衛の、
・ユーモア=常に「面白い事を言わねば!」という脅迫観念を持っている
(吉本の脚本家に「ユーモアがある」とほめられたことがある)
・忍耐=やせ我慢を美徳としている
・昇華=大概のことに「まあエエか」と思える
なかなかエエやん?
NO!感謝が入っていない!これではダメなのです。
育ててくれた先生・コーチに感謝しています。
応援してくれた後輩先輩みなさんに感謝しています。
と言う人はなんてすごいのでしょう!!
何千時間何万時間と自分の極限に挑み「ああ今日も生きていた!」(by北島康介)という日々を生きてきた結果に口に出た言葉が「感謝」なのだと思います。
それは本能のレベルに匹敵するものだと思います。本能レベルからでている感謝という言葉だからこそ私達が感動するのでしょう♪
自己愛性人格障害者のように、レベル1精神病的防衛しかしていないのに「感謝」を口にする場合もありますが、「そのように言えば尊敬される」という(これも本能レベルですが)承認要求から出る「音階の羅列」=「感謝、と言っているようにきこえるもの」(笑)でしかありません。
ここで、以下のことを書いてみます。
≪自己愛性人格障害者にはないもの→自己愛ハンニャのやっていること≫
つくろわない→つくろう
作り笑いしない→作り笑いしかできない
大きく見せようとしない→実際よりはるかに大きく見せようとする
お金の出し方がきれい→公金横領までして自分のお金は使わない
卑下しない→「自分は有能な社員です」と口に出して言う
見下さない→基本、周囲全員を格下にみている
ウソを言わない→本当のことがほとんどない
人を利用しない→基本、人を利用して生きている
媚びない→基本、「上」の存在にアピールする生き方をしている
自分の意見が言える→かっこいい言葉等を全選択コピペするだけ
前向きである→基本、不合理を旨としていて過去に執着する
嫉妬しない→基本、いつも嫉妬心を抱いていて相手を攻撃する
しつこくない→ストーカーに匹敵するしつこさをもっている
知識欲がある→皆無
正義感をもっている→皆無
人の意見を受け入れる→皆無
人のいい部分を見つけることができる→捏造してまで人を極悪人に仕立てあげる
反対意見にはユーモアで切り替えせる→ダダをこねて鳴きわめきつづけて反対する
人に恩を感じることができる→皆無
ある時、わが社の東京本社の支社長クラスの人が出張でやってきたのですが、秘書室で事務仕事をしていたわたし(当時50代)に何故か突然こんな↓ことを言いました。

当時は意味が分からなかったのですが、東京支社長の知人の母親が亡くなって東京支社長がその葬儀のために大阪にやってきて、ついでにわが社に立ち寄り、社長を訪ねて秘書室に来たようでした。
それで、亡くなった知人の母親が80代であること、とても魅力のある人だったこと、自分の感情等々が入り乱れて?わたしに上記のように何の脈絡もない話をしたのでしょう。
ふ~ん、女の魅力は年齢が高くなるほど出てくるのか?ふ~ん。。この紳士な東京支社長が言うのだからウソではないんだろうな。という感想を持ったわたしでした。
(60代になった今、この言葉にも支えられているように感じます♪)
自分ができることを自分らしく時間をかけてやってきたからこその80代の美しさだったのでしょう。
----------
≪自分らしさ≫
(重複しますが、3人のことをもう一度書きますね。)
・自己愛ハンニャ・・・自己愛性人格障害者だと断定しています。
・パラレルワル子・・・わたしが6年間も心囚われてしまった人です。そう鬱病的な自己愛性人格障害的な?何らかの精神病的なものを感じています。
・ヒスレバ花子・・・・大人の女性とはこういう人のことを言うんだなと思っています。
自己愛ハンニャ・パラレルワル子は、自分らしさをもっていません(感じません)。
自己愛ハンニャは、最初から幼すぎるくらいの印象を持ちましたが(魅力を感じることもなく、嫌悪感を感じることもなく)普通のおばちゃん社員、という感じでした。もちろん超絶ニコニコ顔で近づいてきています。
パラレルワル子は、最初からも仕事に関してレベルの高い話を(曖昧に?一方的に?)し、また営業成績も良く、わたしのやっていること―特に、役員の尻拭い的な仕事の大変さに理解を示し、わたしの能力?をほめてくれています。普通にニコニコしていましたね。
ヒスレバ花子は、初対面の時はニコリともせず(互いに挨拶をし合いましたが)、後で聞くとわたしの方こそニコリともしていなかったと言っていますが、最初から互いに仕事の話に夢中になって、如何に営業先をモノにするかの話で盛り上がっています。
自己愛ハンニャは、「あなたはわたしのお姉さんみたい」と言って、わたしが何をするにもくっ付いて来ていました。
社長に直訴してわたしの手伝いをしたいとダダをこねた結果、わたしは自己愛ハンニャの子守役をする乳母のように自己愛ハンニャに仕事全般・PC全般・運転・お茶の入れ方等々を教えながら仕事(営業)をしていました。
しかし、ある日を境に(わたしの長男がセレブの嫁をもらった時から)嫉妬心をまる出しにするようになり(口に出し)、自己愛性人格障害者独特の強烈なモラルハラスメントをし始めます。
パラレルワル子は、「あなたを見たとき、この人は逃がしてはいけないと思った」と言っては、わたしをほめちぎっていました。
会えば、仕事の話はもちろんのこと、文学・音楽・心理学等々の話もできることから、わたしはパラレルワル子を教養ある人だと思うようになりました。が。。違和感はありました。
パラレルワル子といくら話してもパラレルワル子に突き当たらないという感覚と、いつも私が聞き役であること(対等ではない感覚)、パラレルワル子の言っていることが理解できずに???と感じていたこと等々があったのですが、全てやり過ごしていました。
ヒスレバ花子は、わたしがいつものクセで、ヒスレバ花子の営業先に付いていこうとした時に「子どもではないので一人で行ける云々」とハッキリ言ったことから(惚れてしまいましたねえ♪)、「大人だな、魅力的な女性だな」と思いました。
自己愛ハンニャとは一度も心の交流ができたことがありません。(当然ですね♪自己愛性人格障害者は心をもっていないですから)
人間の形をたんぱく質と脂肪で動かせるようにつくって、その中にCPUを入れて、
「自分は特別有能だ」
「周囲は愚民だ」
「自分は何をしても許される」
「自分を否定するものは潰していい」
「自分より目立つ人は攻撃していい」というふうなデータを書き込み、
日本語日常会話程度のアプリを入れておき、
さらに、
「葬式では鳴く」
「人が居たらお茶を入れてどーぞと言う」
「人がいたら口角をあげる」
「権威ある人の前ではデキル社員をアピールする」
「常に難解な言葉を使う」等々の設定もされているアンドロイドのような感じです。
パラレルワル子は、おかしいと思ってそういう目で見るようになってからは、パラレルワル子の、
「話の辻褄が合わない」
「自慢話オンリー」
「良い人に見せることに全力投球している」等々
が分かりました。
そして、彼女を躁鬱病かサイコパシーだと思っています。
ヒスレバ花子は、手ごたえあるリアクションをしてくれて小気味が良いです。
今までに出会った初めてのタイプの議論のできる女性です。
曖昧なところは全くなく、
自分の意見をきちんと言い、
こちらの意見に反論するときもありますが、
正当な評価もしてくれていると思っています。
とにかく会話のキャッチボールができます。
そして、ヒスレバ花子が言います。

う~む、こんな人には絶対勝てない。。。