サイコパシー自己愛性人格障害者というナルシストにふりまわされている自分―自分を認める痛さを知る | 自己愛性人格障害者との闘いの日々
 

サイコパシー自己愛性人格障害者というナルシストにふりまわされている自分―自分を認める痛さを知る

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自己愛性人格障害者のタゲ子
管理人

モラルハラスメント仕掛け人の正体は自己愛性人格障害者です!

プロフィール

 

Contents


ひとりよがりの思い込み―自分がナルシシスト?

自分の別サイト(労働訴訟を闘った3年7ヶ月のことを日記からアップして作ったサイト)のコメント欄に書き込みをしてくれたアポロさんの意見を読んでいると管理人様は視野が狭いという箇所があった。

アポロさんのご指摘が正しいか正しくないかは別にして、常々、自分が書いた記事が客観性を欠いているのでは?感情たっぷりの品のないものになっているのでは?と久々に自分を振り返ることができた。

アポロさんが指摘している同記事の内容は、女性特有の被害にあった女性(カミングアウトしている有名な女性Kさん)について書いた記事で、その女性を車内に引き込み無理やりなことをしでかした犯人に対して憤慨して感情的にただただ批判した内容となっている。

私が自己愛性人格障害者にターゲットにされて、受けたその傷がいかに大きいか、いかに腹立たしいか、いかに苦しいかをブログに吐き出すことと、

私があかの他人についてその人の気持ちを推測してブログに感情をぶちまけることとを比べると、

その発言に対する責任の大きさには雲泥の差がある。この事をよくよく肝に銘じなければ!と思った。

(それで自戒の意味を込めて、恥ずかしい記事はそのままにしています。不当解雇裁判-最高裁まで闘った女のブログ

そばにサイコパシーがいて平常心を保てるはずない

ナルシストによってうつ病を発症させられる危険性がある最近は、サイコパシーの自己愛ハンニャが画像のようにしか見えない、などと書いた。(これは本当です。)

しかしやはり、
・自己愛ハンニャの姿を見る
・自己愛ハンニャの声を聞く

というだけで感情がかき乱される自分がいる。

その感情というのは、トラウマかな?なんかされるんちゃうやろか?と咄嗟に(無意識に)思ってしまって傷を受けないようにするための防御反応なのかもしれない。

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モラルハラスメントされる(人格否定、仲間はずし)

傷を受ける(全治?ヶ月という重症)

実力がついて、そのイジメを防御できるようになる

その際、防御創ができる(よしかわ線?)

昔の傷の上に、無数の小さい傷ができる

傷口が開いてくる

トラウマ(古傷が痛むってとこでしょうか?)

生きていくのは大変だ。

傷を受けないで生きていくことなんてできないから、終わったことに感情を留めているのではなく、次のステップを考える必要がある。

そうすると、自分の中ではすでに自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャを見切って勝負に決着がついたが(結論がでたが)、その闘いの様子・結果を語っていくのが次のステップのように思う。

※ 結論:目の前のガラガラへびとは戦わない。速攻逃げる。実力をつけてから駆除する。

*************
加藤諦三先生曰く、(※加藤諦三=心理学者で、人生テレフォン相談の回答者)

犬やネコを飼っている人は、犬やネコはそういうものなんだ、と分かって飼っているでしょう?

ナルシシスト(自己愛性人格障害者)に対してもそれと同じです。
ナルシシストはそういうものなんだ、と思って対応していくんです。

と。

私などは、飼いネコがあちこちにスプレーしまくって、ひたすら拭き掃除をするというストレス?があるが、ネコを処分しようなどとは思わないし、どんなに忙しくてもどんなにしんどくても飼い犬の散歩をさせようと思っているから、ストレスと言えばストレスを抱えている。

それと同じで、会社で自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャに遭い、顔を見、声を聞くストレスは避けられないことで、生きていく上であたり前に受けるストレスなんだなと思う。

(今は、自己愛ハンニャがなんか言ってきても何かされても、ネコのオシッコの後始末と同じだと感じることができます♪)

飼いネコがノートPCに粗相をした時は平常心でいられなかったけれども、その事が人生の苦悩にはならないのと同じで、自己愛ハンニャにターゲットにされて傷を受けても、人生に苦悩を抱えるまでには至らない(ここに来るまで長かったあ~苦節4年♪)

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呆然→腹立ち→復讐心の芽生え

嫉妬から憎しみ妬みが生まれる(画像は刃傷松の廊下のつもり)

人によって違うと思うが、自己愛性人格障害者から強烈な人格否定をされて、

呆然→落ち込み→自責の念→うつ状態

という経過をたどる人がいるかもしれない。

副題に復讐心、などと響きの悪い言葉を出したが、自己愛性人格障害者からモラルハラスメントをされている真っ最中だった私は、常に、自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャをギャフンと言わせる方法はないか?仕返ししてやるぅーッ!というふうな黒いオーラに包まれていたと思う。

(ネコに仕返ししてやる!と思っているのと同じでした♪)

自分が黒いオーラを出していた時期、死に物狂いで自己愛性人格障害者に関する著書を読み漁り、自己愛ハンニャを分析しまくっていた。

しかし、同時に自分で自分をも分析していたようだった。(=自分と向き合っていた)

こんなに自分と向き合ったのは、青年期以来のように思う。それで、その結果大変ありがたいものを得ることができた。

それは、落ち込まないのが自分の良いところだと思っていたが、復讐心のようなギャフンと言わせてやる!などと思ってしまう自分だったり、すぐに正論を吐いてしまう自分だったり、という部分が人を傷つける場合があるのだということが分かったことだ。

う~む。

昔から、周囲の人に、

友人
友人知人
ムーミンさんはストレートだからね。

  
と言われていたこと。

最近になって、社長から↓

社長
社長
・あなたは海外で働いたら良いね♪
・あなたの言っていることは正論だよ。
・だけど腕を磨かないとね♪


等々と言われたこと。


この理由がよく分かった。

会社では、役付のボンクラーノ・ゆでガエル・ノーカンメ等々を、無意識の部分でギャフンと言わせてやろう!という気持ちを含んだ上で、理詰めでかれらを追い詰めていたようで、これがいけなかった。

・ニコニコしながら追い詰める?

・ヘラヘラしながら逃がさない?

・困るのよねえ(笑)と言いながら一歩も引かない?

という態度は貫いていたが、心の底では相手を(白状しますが)軽蔑していたのが顔・目等の全体のオーラに出ていたのだと思う。

相手を軽蔑してしまうのは、相手を絶対認めない傲慢不遜からでてくる態度だと思う。

私などは欠点だらけの人間だから、会社の会議で勝手にしゃべり出す人を見たらえッ!?そんな事も知らんの?と思ってしまうが、ここで相手を軽蔑するのではなく、感情を動かさずに相手が知らないことは教えて(差し)あげるつもりでサラッと言うに留める必要があると思った。

軽蔑まではしていけないのだ♪如何にレベルの低い議会進行をしていようともだ。

難しい。。。
相手(人間)を認めるって(受け入れるって)、何て難しいんだ!

ネコ相手ならいつでもどんな事でも認めるし、受け入れるし、粗相をしてもバカなんじゃないの?なんて思わないし、野良ネコに爪で引っかかれて血だらけになってもコン畜生とは思わないし。。。

というふうなことを、4年もの間繰り返し繰り返し考え、のたうち回りながら出た結果がこれ↓

相手を認めることができない自分というのが一番の問題だった。

自分の中の自己愛が原因だった。

と。。。

痛かった―本当の自分を認める苦しさ

本当の自分と向き合うのは苦しい・なんで反論してこないんだ?
・なんで黙っているんだ?
・そのふくれっ面は反対意見を持っているからだろ?
・なぜYesもNoも言わないんだ?

全体会議では、常々、上記のようなことを思っていた私。
(こう思うのは間違っていないと思っています。思うのと口に出すのとでは雲泥の違いがありますよね。)

というのは、会議終了後に、半分近くの上席者がさっきのアレは反対だよね、ムーミンさん(私です)はあんな事言ったけど無理だよねとヒソヒソコソコソ言い合うからだ。

その会議の時に意見を言わず、反対意見をもっている場合はふくれっ面をして座っているだけ、って一体なにや???と不思議で不思議で仕方がなかったが、み~んな人格障害者とちがうか?と考えると一気に疑問は解ける。

しかし、まさか、多数の上席者たちが幼稚園児並みの精神年齢だとは夢にも思っていなかったから、入社当初の私は、これまで自分が学んできた一般企業や大人の常識を彼らに当てはめ、そこからはみ出る人を軽蔑するしかできなかった(私、ヒドイですねえ)。

軽蔑する必要など全く必要のないことでこの人はこういう人なんだな。あの人は幼稚園児と一緒だな。とサラッと思うだけでよかったのに、大人の社会人相手にモノを言っていた私だったと言える。

かと言って、客観的にみて?うちの社内会議では↓
・司会を無視して勝手にしゃべり出す
・議題からそれる
・お菓子を食べだす
・ふくれっ面することで反対の意志を表現する
・意見が採用されないと泣き喚きキレル
等々するから、この社内会議の異常さは何とかしなければと思うし。。。

(でもね~)上記のような事について注意をしなければいけない事自体情けなく、また、注意しても直らない、というレベルの人たちだと思うから、この会社にいる間は私は、幼稚園児に言うようなことを言い続けることになるだろう。

とにかく、そういう人達を相手に↓
・分からせないといけない
・それくらいの常識を持て!なぜ持っていないんだ?
・バカじゃないの?
(果ては人格障害者じゃないの?)
とまで思いを巡らせ、

・明日こそは言い負かしてやる!
・今度こそは分からせてやる!
と、私はかれらに、自分の価値観をそんなの常識でしょ?という言葉を浴びせかけるようにして相手を無条件に従わせようとしていた。
(ものすごいエネルギーでした♪)

そして、自分の価値観(客観的にみてもそれが正しくても、それ)に従わない人達を軽蔑するようになったのだと思う。(ぅう~自己愛性人格障害者と同じや~)

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だが、人は出来ない事はできないのだ。(それで良いのよねえ♪)
出来ない人に対して、それが出来ないからといって、軽蔑するのは間違っている。

そのような思考回路をもてば自己愛性人格障害者などの人格障害者の言動が気にならなくなると思う。

やはり加藤諦三先生の、

犬やネコを飼っている人は、犬やネコはそういうものなんだ、と分かって飼っているでしょう?

ナルシシスト(自己愛性人格障害者)に対してもそれと同じです。
ナルシシストはそういうものなんだ、と思って対応していくんです。

という接し方こそ、相手の自己愛性人格障害者と自分を救う方法ではないかなと思う。

昨年くらいから、私はこう思いはじめる。

・自分も根底に隠された憎しみ等をもっていた!
・だから自分は(無意識だったとは言え)人を軽蔑して理詰めで追い込んでいたのか?
・自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャは、それをビンビン感じて直感的に私を敵認定したんだな?

(自己愛ハンニャは、社内中に知れ渡るくらい私に執着=嫉妬していましたからね♪)

自己愛ハンニャは私の悪口を社全体に言いふらしていたが、本当に社内の隅々までだった。

ある日、私とは全く接点のない、他部門の役付きやその部下の人たち(名前だけ知っている人)と廊下で軽く接触して会話した時に、

役付初対面さん:
自己愛性人格障害者は誰にでも悪口を吹聴するあなたはムーミンさんですね、自己愛ハンニャさんから聞いていますよ。
自分から歩み寄るのも大事ですよ。

ムーミン:
え”ッ?一体何をおっしゃっているのですか♪
あなたとは初対面ですから、いきなり過ぎて、おっしゃっている意味が分からないんですが。。。(笑)

役付初対面さん:
自己愛性人格障害者は誰にでも悪口を吹聴するいえ。
僕の勘違いです。失礼しました。

(自分が役付きだから何とかしようと思っていたのでしょうが、自己愛ハンニャさんから聞いているムーミンさんの印象とは違うゾと思っているように見えましたが、オロオロした感じでしたね♪)

(同じようなことが、あと2回おきます)

役付初対面さんのような役職をもった大人?の社会人が、
社長の秘書と言えども初対面の社員(私)に、
いきなり説教めいた事を言うなどあり得ないことだが、
役付初対面さんが男性だから、
自己愛ハンニャが泣きながら被害者面しながら、
いかにムーミンさんが(私が)ヒドイのかを切々と訴えたのだろう。
(こういう事をするのが自己愛性人格障害者なのです♪)

そして男気を出した役付初対面さんは自己愛ハンニャさんのために、今度ムーミンさんに会ったら注意してやろうと思っていたのではないかと思う。

・自己愛ハンニャの演技がうまかった。
・役付初対面さんが○ンクラ男だった。

この2つの条件が揃ったのだろう?私が初対面の人から説教されるアクシデントが起きたのは。。

自己愛ハンニャ恐るべし。
外堀を固めてターゲットを孤立させていくその手法は、自己愛性人格障害者の定石だということだけはを覚えておく必要がある。

さて、

(エエ年して)あたり前のことができない人なんだな。。
(老年期に差し掛かっているのに)ミニスカはく人なんだな。。
(ネコだから)オシッコしてはいけない場所が分からないんだな。。
だから)人の業績を横取りする人なんだな。。(対策は練ってくださいね)

と思える自分に到達したが、嗚呼苦節4年、長かった。

(自己愛性人格障害者にモラルハラスメントされて受けた傷の痛みは、本当は自分と向き合う痛み・苦しみだったのではないかと思うこの頃です♪)

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