自己愛性人格障害者の得意技―根回し
会社に勤めている私たちにとって、これが一番厄介のように思う。
自己愛性人格障害者から被害を受けているある人の言う、
自己愛性人格障害者は悪口ととられない悪口を言うのがすごく上手いから皆すっかり信じてしまう
という状況が作り出されて、自己愛性人格障害者にターゲットにされてしまった人が理不尽にも会社を追い出されてしまう、ということが起きてしまう。
あるいは、自己愛性人格障害者によって孤立させられたり、悪評をたてられたターゲットがうつ病を発症してしまったりする。

これは自己愛性人格障害者お得意の、証拠を残さないモラルハラスメントなのです!
(証拠が残っていないものをモラルハラスメントと言うのですよね)
自己愛性人格障害者から直接人格否定される被害は、相手自己愛性人格障害者がハチュウ類に見える自分になれれば傷を受けないが、目に見えないところで画策されて悪評を流布されたのでは防ぎようがない。
その悪評が事実であろうが無かろうが、社内では人の悪評話は厳禁。懲戒解雇の対象とする。という就業規則を一般常識にする必要がある(と思う)。
そうなると人は密告し合うのかな?
また、悪口ととられない悪口を言う天才である自己愛性人格障害者が生き残ってしまうのかな?
悪者になろうが孤立しようが平気!という自分であるなら、解雇されるような落度さえなければ会社を辞める必要もないし、辞めさせられることもない。
しかし、現実は厳しく、孤軍奮闘する中、サイコパシーに嵌められて会社から解雇通告されてしまったら、もうこれは理不尽だが受け入れざるを得ない。
土俵際で踏ん張っているあなたがもし、「社内で孤立している」というなら、ここからが人生の面白さが始まる、と私は思う。
一人ずつから信用を得ていく楽しさ
あなたが完璧に社内で孤立していると言うなら、以下の状況が全てあてはまるはずだ。
・挨拶してくれる人すら居ない
・お昼は毎日一人で食べる
・毎日一言も発することがない
これ。。。こんな人は居ない。
仕事上のやり取りは必ずあるから、総務や庶務課に居る人なら、相手に「仮払はいつまでに必要ですか?」とか、「コーヒーは何個揃えておけば良いですか?」とか、なんらかのやり取りは必ずある。
そういう時に、相手の心をグッとつかむのだ。
「そんなん無理」などとぬるい事を言っていてはいけない♪
相手が自分を不信の目で見ている。。。
というふうな気配を感じてビビッてしまう、という人も居るかもしれないが、ここで何が必要か?
自己肯定感だ。これ、間違いない。
自己愛性人格障害者が持っていない(あるいは低すぎる)自己肯定感が自身を救う。
簡単に言えば「生んでくれてありがとう」という感謝の気持ちだ。
そして、お茶・コーヒーの買出しやお茶汲み当番がある会社に勤めているなら、
「昼飲んでもバンホーテンココアです」とか「チョコっと食べませんか」と言ってココアやチョコを勧めるなどの会話もしよう。(センスを磨くのです。勉強するのです。時には講座を受けるのです。自分の分析もしていくのです。)
自己愛性人格障害者からターゲットにされている方からメールをいただくことがあるが、私も含めて共通しているなと思うことは、「自己肯定感の低さ」が苦悩を大きくしていると感じる。
学生時代は(青春期は)嫌でも何でも勉強したし、生き方の模索をし、自分を見出そうと必死になったはずだ。
これを大人になった今、放棄してはいないだろうか?
自己分析し、ものの本を読み、「もがくうちに一つの結論が出てくる」のではないだろうか?
以下に書いたが↓
・社長
・ウテバヒビキ(営業部長)
・キララちゃん(営業部長)
・サイバーおしん(営業部長)
・マッスグセイギ君(課長)
・ヒトリデモ仙人(秘書的な立場)
・私(社長秘書)
以上の7名は、この6年間の並々ならぬ努力(と言わせてください)で得た人脈だ。
その他、
・自己愛性人格障害者に違和感・嫌悪感を持っていることを表明している人達数人
・自己愛性人格障害者にいたぶられた人達あまた
これらの人達は、現時点では、自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャが流した私の悪評を信じるよりも、自己愛ハンニャに対する不信感を募らせているように思う。
上記7名を味方につけるために、私は、その他の役員や営業マンに来る日も来る日も同行し、営業を成約させてきた。
「私に任せてください」みたいな事を言って、有限実行したことで信用を得た、と思う。
(毎日緊張して出勤していましたねえ♪やるかやられるかの世界に生きていました♪)
その結果の社長の決断(自己愛性人格障害者を解雇する予定)を得たのだから、達成感がある♪
自分はこの6年間で何を得たか。。。
・自己愛性人格障害者は見分けられる
・自己愛性人格障害者から何を言われても傷つかない
・周囲全員から誤解されて悪人にされていても動揺しない
・自分は自分の生き方をして生きていけば良いのだ!という揺るがぬ信念
というものだった。(あ~6年間は長かった。。)