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(今回の記事は、ただのストレス発散のための記事です♪)
自己愛性人格障害者というケモノが職場にいる!
自己愛性人格障害というものを、人様に一発で説明できる方法がないものかと、この4年間ぐらいは、日夜考え続け、3大症状―自己愛性人格障害者に打ちのめされたターゲットの報告で、素人なりに書いた。
そうこうしているうちにモラルハラスメントの提唱者:マリー・フランス・イリゴイエンヌさんの症状のない精神病者という言葉を思い出した。
(で、突然ですが)
(↑哲学的な話になるから意見の相違や様々な学説もあると思いますが私などはそう思います♪)
(今度は自分の話で恐縮しますが)
その記憶をたどると、自我を意識したのは3才前後。
七五三のときに、近所の女の子と一緒に写真をとったことを覚えている。
そして、その時、その女の子と自分の着ているものや持っているものに違いがあるのが分かった。
我が家はちょうど、父が仕事を失敗してドン底の生活をしていたらしく、私は伯母に育ててもらっていたらしい。
そういう環境だから、私が着る着物を母がどこかで借りてきてくれたらしく、それは3才前後の私でも分かる安物だった(化繊のペラペラのもの)。
また、飾りもの(カンザシやバッグや草履)も、その女の子に比べて劣っていること(貧乏!←この言葉は知らなかったが)がハッキリ分かった。
この時自分以外にも誰か人がいるんだなという認識をしていたと思う。
自分の家はこうなんだという認識だと思う。
だから、私は着物を着せられて嬉しい反面、残酷だけれども差別のある現実を受け入れたのだと思う。
これが、自分の自我を認識した最初だったと思う。
↑
(やっと、人の原型ができたかな?)
このようにして、たいがいの人はきちんと自我が芽生える。
そして、そこに素直さ・優しさ・明るさ・賢さ等々が加味されながら成長していく。
ところが、赤ちゃんとケモノには自我がない!
あるのは、ただただ快・不快の感覚のみ。
そして、不快を感じると泣き(鳴き)、快感を感じると満足して陶酔しドヤ顔をつくる。
赤ちゃんは、
・自分がこれだけナイテいるのに周囲が(環境が)何もしなければ怒りをあらわすのみ。
・何かしてくれても当たり前だから感謝することもない。
・逆に、周囲のために(お母さんのために)泣いてあげたのくらいに思っている。
(昔↓こんなセリフが出てくる、精神病者が主人公の映画があったがタイトルが思い出せぬ)
ボクが泣いたり笑ったりすると、お母さんが喜ぶんだ。
とにかく、ボクが何かするだけで、お母さんが喜ぶんだ。
(ゾッとしませんか?)
(わッおう~自己愛性人格障害者の言い訳定形文とソックリじゃないか?↓)
そう、自己愛性人格障害者は、自我のできていない赤ちゃん、あるいは、自我のないケモノだ。
ケモノだから快・不快の本能のみで泣くだけ(鳴くだけ)。
大人の肉体をもった自己愛性人格障害者が不快を感じた時に、習得した言葉を駆使するからメンドクサイことになるのだ!
不快を感じている時に自己愛性人格障害者が発する音声が、人格否定の言葉になるのだろう。
第二次世界大戦中、精神病患者にロボトミー手術を施して(前頭葉のある部分を切断する)、その患者を大人しくさせるというふうな事が行われていた(現在は禁止)が、その人型をした生き物が自己愛性人格障害者だと分かれば、その声帯を切断する、なんてできないものかと真剣に考えてしまう。
(だが、声帯切断だけでは、以下のような事は防ぎきれないか。。。)
(職場でですよ?)
会社に自己愛性人格障害者がいるなら、
・ある日突然会社の備品が無くなっていたり公金を横領されていたり、
・個人的には服マネされたり、業績を横取りされていたり、社内で自分が極悪人になっていたり
自己愛性人格障害者が、
・客観的な証拠を示して責任を問うても鳴くなどして絶対に認めなかったり、
・そんなつもりでやったんじゃないという便利な言い訳をしたり、
今までの常識が根底からくつがえされるような奇怪なことが次々に起きて、こちらの自我がグラグラ~っと揺らぎはじめたりする。
しかし、なんてことはない。
自己愛性人格障害者が(ハチュウ類~)赤ちゃんだと明確に認識できれば、奇怪なことも起きて当然だなと腑に落ちるから、自我は崩壊しなくて済む。
(自己愛性人格障害者と遭遇してから6年経って、この記事を読み直していますが、自己愛性人格障害者はケモノだと断定します。)
自己愛性人格障害者の生態
≪わが社で起きたこと≫
プリンタ窃盗事件↓
・まず、勝手に家にもって帰る
(ケモノなので良心がないため盗める)
・取られまいとして”壊れている”と言う
(ケモノなので良心がないためウソが付ける)
・取られまいとして、さらに”もらったもの”と言う
(ケモノなので良心がないためウソが付ける)
・取られまいとするが、取られそうになるため逆ギレする
(赤ちゃんかケモノと同じ)
・キレてわめくが取られそうになるのでしんみり泣き出す
(アタシ様がこんなに叫んでいるのに、要求を聞き入れてくれないムーミンさんてヒドイ人なんでちゅ、と周囲に言う)
服装コピペ事件↓
60代前半の、顔に爬虫類っぽいシワのある、猫背で鶏ガラのようにやせている女。
(鶏がらは良しとしよう、体質もあるから)
大きく血管が浮き出た指に、夜店で買ってきたのではないかと思うような、安っぽい大きな指輪をはめている。
いつもジーパンに、夏なら色あせたTシャツ、冬ならアクリルの伸び切ったセーターという格好。その格好に、時々大きなダイヤの指輪をはめてきたりする。
・黒のフェミニンなジャケット
・黒のストール
・黒のベルベットのチョーカー
・赤の冠バッジ
・ピンクパールのマニキュア
誰かから、”服の趣味が変わったね”と言われて、
ジトーッと舐めまわすようなキショクの悪い視線を送ってくるだけで、ほとんど話すことがない。
ファッションの話などは一度もしたことがない。
なのに、だまってコピペ。不気味としか言えない。
こんなヤツが人間社会にいるという不思議さに、”なぜ?”と頭が占有されてしまうのが悔しい。
だが、この不気味なノーカンメの方が、自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャよりちょっぴり(攻撃が)マシ。大人しいケモノという感じ。
だから、自分より役職が下の自己愛ハンニャにこき使われてしまうのだろう。
(まてよ)ノーカンメはおとなし目のケモノだがケモノ度から言えば、自己愛ハンニャを上回っているかもしれない。
人格障害者・ノーカンメのケモノ度↓
・社報に載せる文章が、
今回の社員研修は、昼ごはんのときに席が社長の真ん前になって嬉しかったです。行って良かったです。
としか書けない事
・自分の夫の葬式の時に、どの参列者にも挨拶もせずに、自分の娘達と冗談を言って笑っていただけだった事
・葬式で故人と初対面なのに、最初から最後まで泣く事
・人様の葬式にキラキラ光るピアス・エナメルバッグ・皮のコートなど装着している事(もちろん注意はしている)
(その他は、またの機会に詳細に書く予定)
ノーカンメは、しんみり真顔の被害者ズラで、この60年余りを生きてきたのだろう。
公衆の面前で自分のために涙を流す、という女の一番いやらしい武器?を使って生き延びてきたのだろう。
だが、60代前半になって、自分に魅力がない事を悟らなければいけない。
自分が夏の火鉢であるという事を。
※”夏の火鉢”は、元々花街の言葉。夏には火鉢があっても誰も近づかない。すなわち、誰も抱かない、という意味。
若いうちは、いかに夏の火鉢であろうとも、若い男性の旺盛な○ックスしたい!という本能がノーカンメを救っただろうが、還暦も過ぎたシワシワの、優しさも正直さも素直さ等々もない、人間を感じさせない、ただのイキモノに人は近づかないから、ノーカンメは、孤独のうちに息絶えてしまうのだろうと思う。
客観的なものの見方が見事に欠落しているノーカンメ。自分には、女の魅力があると思っているノーカンメ。
(それを証明する事件が起きている↓)
社長:
あなたたち、また花を咲かせて結婚すれば良いよ。(ノーカンメも私もすでに未亡人)
私:
もうすでに枯れていますから無理ですねえ。(2人とも還暦すぎてます)
咲く前に枯れている気もします(笑)。
枯れてるなんて、そんなッ!、私が枯れてる?! ひっどい!
(プッとふくれてそのまま帰る)
社長・私:
???
ノーカンメの悪口を長々と書いたが、日ごろのキショクの悪い視線攻撃によるストレス発散、とご理解いただきたい。
(え~それで、やっぱりノーカンメは夏の火鉢だな、しつこいけど。)