パワハラも解雇も、もっと深い部分でその原因は自分にあった
前回の記事に、結審直前に夫が急死したこと、そして解雇無効の訴えに(逆転)敗訴したことを書いた。
起こった事実だけを並べ立てて書くと、不幸続きのかわいそうな人間の物語が出来上がる。
(少し、お付き合いください。)
兄が夭折する。
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父親の店が倒産。
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大阪に夜逃げしてくる。
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転々と引越し、オモロイ地域で長屋に住む。
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高校・大学と、奨学金を借り、アルバイトをして卒業する。
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父は、仕事に失敗したあと、一時、いわゆる、飲む打つ買うの生活におぼれるようになる。
家(仕事と住む家)は再建したが、父の荒れた生活は直らなかった。
(私たち家族=母姉妹3人は悲惨な家庭生活を送るようになる。)
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そのため、私は、社会人になってすぐに家を出て独立する。
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結婚後は義理の両親と同居。
(姑の性格に悩まされ、自我崩壊寸前にまで陥るが持ちこたえる。)
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本格的な塾開業のため事務所を構える。ここを住まいにし、義理の両親との同居を解消する。
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息子2人に恵まれる。徐々に塾の仕事を減らし、育児に専念する。
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夫が会社でパワハラを受け転職。(住宅ローンが支払えなくなり家を売却。泣)
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両親の家に転がり込む。
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父親がアルツハイマーとなり(=ボーダーのような症状があらわれてくる)、ぶっ○す等と言うなど、命の危険性を感じさせるDVがはじまり、一時、義理の両親宅に避難する。
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この間、父と母が熟年離婚し、住んでいた家がなくなる。
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生活のためサラ金会社に就職する。
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父が、勤務先のサラ金会社に毎日押しかけてきたため辞めざるをえなくなり、同時に、父による命の危険性が続いていたため遠方に引っ越す。(子どもは転校する)
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ここで被告会社に就職することになる。
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すぐにパワハラを受けるようになる。
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被告社長から2回も辞めろと脅される。
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従業員による退職強要が始まる。
(モラルハラスメント・パワーハラスメント・団体で無視・干される)
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解雇通告
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労働訴訟の決意。仮裁判は勝訴。
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裁判生活4年目の判決が出る直前に夫が急死。
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本訴でヘンな裁判長にあたって逆転敗訴。
(この直後、うつ病と次男の反抗にもがく。)
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それから8年後の現在を迎える。
え~、長々と自分のことを書いたが、こうしてみると、なぜ解雇されたのか、その原因が分かってくる。明確だ。
上記の太字部分がその全てだ。(めちゃくちゃ反省しています。)
自分は親を利用してきている。
大人になってから-大人にしてもらってから、親孝行もせずに逆に親を捨てるようなことをしてきているのだ。
親をないがしろにして自分が栄えるはずがない。
そう、栄えるのではなく滅びるしかないのだ。
自分の根っこである親を欺くような生き方をしたなら、滅びていくのが自然の理だ。それが道理というものだ。
たまたま入社した被告会社と思われたが、たまたまではない。
そういう出会い、流れになるのは当然だったのだ。
深~い無意識から出てくる振る舞いで、わざわざそこを選んだのだ。
親を苦しめてきた報いをきちんと受けたということだ。
原因があっての結果だから、ものの道理として反論の余地も弁解の余地もない。
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どんぐりの背比べ―特別不幸な人も特別幸せな人もいない
私など、
と言われるかもしれない。
私の身近にいろんな人がいる。
その母親に、ここで待っててね、と言われてそのまま母親が帰って来なかったと言う。
生まれつき身体障害者で生まれた人や、子どもが障害者の人。
子どもが小学生のころから引きこもって十数年たつ人。
その母親が自ら命をたってしまった友人。
見知らぬ男性からあらぬことをされてしまった女性。
DVの恐怖に怯えている人。
自己愛性パーソナリティ障害者からモラルハラスメントを受けつづけうつ病になってしまった人。
子どもが刑務所に入っている人。
書き出したらキリがないが、人は、本当にいろいろなことで苦しんでしまう。人と生まれたからには避けられない苦悩を抱える。財閥であろうがホームレスであろうが、生きる苦しさはさほど変わらないだろう。
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(お金の問題は、住宅ローンなど借金・経営拡大のための借金等の大変さはあっても、貧乏自体が苦しみの原因になることはなく(=相対的なことだから)、お金で解決できることなど、大した問題ではない。
何があってもへこたれない自分
自分自身・家族が原因となって自分が受ける苦しみは、いちいち口に出しても仕方がないが、他人が原因となって受ける苦しみには、人は往々にして耐えがたい。
それで、ここを凌ぐというのか、乗り越えるというのか。。。そのために闘うことが必要になってくる。
闘いといっても(本当の闘いとは)自分の意見を言う、本当の自分はこうだ!と主張する闘いだ。
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人から傷を受けて、なにするんでい!とも言わずに黙ったままでいるとどうなるか。
家族などの親しい人間関係でなら、何か言うだろう。理不尽なことをされたり、言われたりすると、腹をたてて、自分はこんなに怒っているんだ!という態度を示すものだ。時には、激しく言い合いしたり、殴りあったり(きょうだい喧嘩)。。
そうすることで、人は自分を守ってきている。
そう、自分の意見を言うことは、自分はここにいるんですよ、と自分を大切にしていることになるからだ(と思う)。
私は、被告会社でずっとパワハラを受けていたが、きちんとパワハラ返しをしていたし、解雇という悔しいことも裁判で陳述書に書くことで相手と闘うことができたから、傷を受けながらも致命傷は負わなかった(裁判が終わっている今そう思います)。
しかし、(夫が急死した後)不当な判決を出されて、言っていくところを失ったことが原因でうつ地獄に陥ったと思っている。
この、他人から受けた理不尽な仕打ちに一言も反論できない状況(ひと言もですよ)というのが、被害者の立場だと言える。
何があってもへこたれない
何があっても受け止める
何があっても生き続ける
そういう人間になっていくための知恵を、現在(戦後以降特に)、誰からも授けてもらえない現代人が増え続けていると感じる。
本当の勝ち組
今の世、統計は出されていないが、晩年、精神障害を患うことなく過ごし、亡くなっていく人は大変少ないのではないかと思う。
私の知る範囲だけでも、アルツハイマーやうつ病のまま亡くなった人の方が圧倒的に多いからだ。
うつ病を経験した自分としては、闘わなければ-きちんと自分の意見を言わなければ病を引き起こしてしまうのだと思っている。
・上司に怒鳴り散らされて精神的な重圧を感じています。止めさせて下さい。
・こんな業務は物理的に無理で、誰もできないことです。
これが言えると、自分の子どもが反抗期に入ったりグレたりした時に、きちんとものが言えることにも通じる(と思う)。子どもにビビるようなこともない。
これが幸せの種かな?なんて思う日々だ。