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不当解雇裁判の和解案を受け入れそうになって息子が言ったこと

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僕らがしてきた事はなんやったん。。。

不当解雇裁判が2年も続いたころ、疲れてきた私は和解案を受けようかなと家族の前で言ったことがあった。

もう本当に疲れてくる。弱気になってくる。そんな時に和解案をさっさと受けれ入れて、ン百万もらって終わりにしようと思った。すると、

僕らがしてきた事はなんやったん。。。

と大学1年の長男に言われた。(泣けてくる)

彼は、

お母ちゃんは間違っていなかった

という裁判所の判断を待ち続けているのだ!お金ではなかった。

私は最初からずっと「判決」を取りたいと思っていたが、長い長い訴訟活動と失業生活の中でついグチが出たのだ。

長男は、家庭状況を的確に把握しているようで、何校も大学受験する事がン百万の死に金を使うことだと認識し、また浪人できないだろうと思っていたのか、最初に合格通知が来た大学に入学している。(裁判がそうさせた)

第一志望の学校に行きたかっただろうに、と思うと私の方が残念で仕方がなかった。

家族であるが故に、家族全員で被告会社からの理不尽による傷を受けながら生活しているのだと改めて認識せざるを得なかった。

その長男の前で弱音を吐くことは、人としてできることではなかった。

もう負けようが勝とうが、とにかく最初に決めたように最後まで闘おうと思い直したのだった。

不当解雇は許されない。

その人を生活苦に追いやり、その家族をも巻き込み、その人が会社で築き上げた人間関係などを一切奪ってしまう。

「僕らがしてきた事は何やったん?」との息子の言葉を聞いて私は解雇通告の日の被告社長の言葉を鮮明に思い出した。

君がいかに困窮しようが、僕には、まーったく関係ぬゎい。君の生活なんか僕には無関係や!

なんという冷血無慈悲な言葉だろう。

仮裁判で解雇無効が証明され、私には解雇されるほどの重大な落度がないことが明らかになった。

その人間に対して、被告社長は上記のような事を言っていたのだ。

家族のためにも、「和解」に応じる訳にはいかない。

解雇通告の後、被告社長は、

最高裁までいったら、あはは、僕も君も生きていないかもしれへんし、まぁ、裁判なんかやめたほうがエエで。あはははは。

と余裕タップリに言っていた。

この人を小ばかにした傲慢な社長を見て、当時の私は、

社長が死んでも私は生き残る!

「判決」が確定するまで闘う!

とさらに強く思ったのだった。

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