人生の対処法―究極の二者択一時でやってはいけなかった事―プロフィールも兼ねて

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(プロフィールっぽい記事です♪)

自我の目覚め

一番古い記憶は3才。それは七五三の時の記憶。

こんな小さい子供なのに、近所の金持ち?の女の子・カネコちゃんと一緒に写真を撮ってもらった時に、何?違う、カネコちゃんのバッグの方が豪華。髪飾りも自分のモノより良い!ええモン持ってる!と、その違いを強烈に意識しましたね。自分という存在を意識した最初だったように思います。

学校生活でのイジメ

私の小学生時代は、50年以上も前のことなのですが、今とは違って道徳観がまだ生きていました。

『自分がされて嫌な事は人にはしない』
『ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれる』
『悪いことをしたら自分に返ってくる』

『誰が一番怖いかな?』

『大工さんや』
『校長先生や』
『ご先祖さんや』
『たばこ屋のおっちゃんや』

等々、こんな事を、男の子も女の子も、普通によく言っていました。

ですが。。自分達とは違う子供(異質)をイジメる姿はありました。

それは。。
まだ名前を覚えていますがみゆきちゃん、という同級生がいました。
この子は、先天的に口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)を持って生まれてきて、口唇が完全に裂けていたため、それを縫った跡が生々しく残っていました。

現代では医療も進み、乳幼児期に縫い合わせれば、成長とともに傷跡はほとんど残りませんが、50年以上前では、口唇を縫い合わせた跡は、何針縫ったかハッキリ分かる状態でした。

また、縫合の技術と言うのでしょうか、彼女の顔を今思い出すと、『縫っとけばエエやろ』みたいな感じで、口唇を縫い合わせる時に鼻が引っ張られたのでしょう、彼女の鼻は、べちゃっと押しつぶされてしかも横に広がっていました。

みゆきちゃんの母親と妹は美人系の顔をしていましたが、みゆきちゃんも、彼女が口唇口蓋裂でなければ顔の上半分だけを見ると美人顔でした。

しかし、子供(小学生)は残酷な一面を持っています。

異質を排除する

のでしょうか、一度だけ、みゆきちゃんが男子に囲まれてうずくまって泣いている姿を見たことがありました。その時私は、少し距離を置いたところで、何してるんかな?みゆきちゃん泣いてるなあ。。くらいの感覚で眺めていただけでした。

それで、翌日、担任の先生が、

誰ですか?みゆきちゃんをイジメた人は?
名乗り出なさい。

と言うのです。

前日に、自分の娘がいじめられたと知って、その母親が学校に言ってきていた事を受けての担任の言葉でした。
(私の母によると、みゆきちゃんの母親が私の母に『怒鳴り込んだ』と言っていたそうです。)

担任の先生に上記のように言われた私たちは、(私が最初に手を挙げたのですが)みんなが次々に手を挙げて、その場でみゆきちゃんに謝っています。私が名乗り出ようと思ったのは、見て見ぬふりをしていた罪悪感からだったと思います。

この頃の小学生は、まだ人として壊れてはいなかったようでした。

あっ、差別はありましたね。

国籍の違う子やハーフの子は、大人たちが『あそこの子はねえ、何とか人なんやて。。(日本人の方が優れている、という意味の発言)』というような事を言うため、子供たちが、自然に外国人を蔑んでいたと思います。

人が故郷の沖縄に帰る時にまだパスポートが必要だった時期、沖縄県民に対する差別もあからさまにありました。

さらに、『こっちから向こうの道路へは行ってはいけない』という地域への差別は特にあからさまでしたね。子供の私たちにも大人同様の差別意識がちゃんと刷り込まれていたと思います。

差別については、上記の人たちは、就職・結婚時には、現代以上の差別待遇を受けていました。まだ、住所から出身地が分かってしまう時代でしたので。

(男女差別については、後述しています)

しかし、女の子は、やっぱり女ですねえ、仲間はずし(陰湿ではない)や陰口を叩く習性はちゃんと持っていましたねえ(笑)。

仲間はずしをする場合、『もうカネコちゃんと遊んでやらない』と口に出して言い、集団で根回しをするというものではなかったように記憶しています。

男の子の中には親分がいたし、女の子の中にはお局がいたけれど、10才前後のヒトの精神はまだ完全に人間になっていませんので(動物に近いですから)、敵か味方か(どっちか)という人間関係しか結べないのかもしれませんし、それは親分子分の関係でもあったりするようですし、仕方のない事だったと思います。

しかし、上記で書いたように、『誰が一番怖いか』という話題が出るのは、罪悪感を持っていたり、正邪を峻別しようとする前頭葉の機能が育っている証拠です。先生や近所の大工さんに叱られたりすると、自己を省みることができたという訳なのです。(人間らしいじゃないですか!)

私の小学校時代は、クラスではオール5の私が(えへへ)いつも学級委員長でした(生徒会副会長も兼任)が、私に限らず、その頃は、成績の良い子がクラスのほぼ満場一致で学級委員長をやるのが当たり前で、クラスのみんなの中には、学級委員長に対して特に妬みなどはありませんでした(エエ時代やねえ)。

糸の切れた凧―ウソを言う口

私は、中学校に入ってから、悪縁に触れて、やってはいけないことをするようになります。

私の両親は、私が物心つくころからずっと共働きでした(定年まで)が、両親が共働きという事実と私が悪縁に触れてしまった事実とは直接関係はありません。

父は、経営していた工場の経済が回らなくなって(潰して)、そこに居られなくなり、四国の方から大阪に引っ越してきた(いわゆる夜逃げ 笑)そうで、大阪では夫婦で必死になって働き、一応、家を持ち、私達子供3人を大学まで行かせ、晩年は、経済的には困らない生活をしています。

そんな中、

・自分の通う中学校が『こっちから向こうの道路へは行ってはいけない』という地域の中心にあった事

・そこに通っている生徒達の中に、外国人等の差別されている人達の子供が大勢いた事

という環境で中学生になった私。

それで、私は人生で初めて挫折を味わいます

上記のような環境だからでしょうか?生徒たちの中には、

すでにホステスをしている女子生徒が居たり
家が組事務所だったりでその生徒の体の一部にモンモウが入っていたり
臨月をむかえて学校に通えなくなった生徒が居たり

等々いろんな環境の生徒がいました。

私が通っていた中学校の生徒数は、1クラスが55人くらい、1学年20クラスくらいありましたから、各学年1,000人以上いました。

人数が多いと中には天才のような子もいる訳で、小学校時代は何でも一番だった私は、中学校での一発目の定期テストの成績で、クラスで3番、学年で10何番という、一番ではなくなるという初めての経験をしてしまいます。

クラスで1番(T君)、2番(I君)の生徒は、学年でも1番2番の生徒で、私に勝ち目はありませんでした(最後まで順位を抜く事ができませんでした。)相手は、5教科500点満点中498点とか取るんですから無理!

それに私は家で勉強したことがなく、というより勉強するものなんだ、という意識がなく、勉強する方法すら知りませんでしたから。

ただただ、負けた。。という敗北感を強制的に持たされた?未成熟な精神しか持っていない12~13才の子供だったのですね。

ここで、親なり大人(先生とか)なりに相談するとか、親?から声をかけてもらうとか、何らかのアドバイスがもらえていたりしたら、私のその後は全く違ったものになっていたかもしれません。

それで、悪縁に遭ってしまうんです。

初めて見る面白い環境で暮らしている人達の、特に、いわゆる不良(以下、ワル子とします)と呼ばれている人たちが私にとっては、魅力的な人達に見えたのでしょう。

ところで自分が受けた敗北感は、今思うと、

私の成績等の出来具合に父や母が手放しで褒めてくれて、自分は満足感の中で生きていた。。

だけれども、中学生になって両親が褒めてくれなくなって自分の承認要求が満たされなくなった。。

心に空洞ができた。

という過程があって、そのどうしようもない寂しさを満たすために、自分の目から見たら魅力的に見えるワル子達と遊ぶようになってしまったのかな?と思います。

ここが人生の分かれ道なのですね。
ここで違う人(大人の人)と出会っていたら。。出会うことができていたら。。全然違う生活になっていただろうなあと思いますね。

(あっ、そんなに悪い事はしていないです♪良い事はあまりしていなかったと思いますけれどね♪)

『受験の補習があるから、帰りは夕方○時ころになるから』と親にウソをついてそのワル子達と一緒に遊んでいたのです。(それまでは、放課後にクラブ活動以外は寄道するなんてした事がなかったのです。ウソをつく事を覚えてしまった。。。)

そのワル子達の中には、クスリやタバコや不純異性交遊(死語になっていますかねえ?)や夜遊び(夜中に家を抜け出して)をやっている人もいました。

他校区へ殴りこみに行く、という事がちょくちょくありましたが、声がかかれば(面白いから)何回か見に行ったことがあります。(今と違って、タイマンですよ、周囲の仲間たちはお互いに見ているだけ)

タバコやクスリ等々、ワル子達は、現代のワル子達同様の事をほとんどやっていました。

・夜中に家を抜け出して、異性とあってムフフな事をする
・人様のモノをだまって拝借してくる
・弱そうな生徒を呼び出して、金品を要求したり
・可愛い生徒を呼び出して『髪の毛切って来い』とおどしたり
・学校には遅刻と早退セットで登校してくるが、アジト感覚で使っていた

で、私の役目は何かと言えば、定期テストでカンニング。させてあげること。
成績は、学年で1番2番のT君やI君にはかなわなかったけれど、90点代は取っていたから、私に白羽の矢?が当たったのかもしれません。

ある時の定期テストで、ワル子の子分の一人が担任から『この箇所、スポックさんと全く同じ間違いをしてるけど、どういう事?』と聞かれて、そいつはゲロして『スポックさんに見せてもらった』と言ったことから私は担任に呼び出されてしまいます。

『見せてもらったと言っている、見せてあげたのか?』
『いいえ、勝手に見たんじゃないですか?』

と、私は咄嗟にウソをついてしまいます。恐ろしい中学生ですね。

つまり、中学校時代に、

・親にウソをついた
・担任にウソをついた

訳ですが、私は大人2人に堂々とウソをついたのでした。

親はどれだけ胸を痛めたことでしょう。心配をかけ困らせた事実は消す事ができません。
先生にも、心配をかけ困らせました。

子供がウソをついた場合、罰せられるという訳ではありませんが、また、親にウソ付いて夜遊びする話なんて世間にはゴロゴロ落ちているかもしれません。

しかし、決してあなどってはいけなかったのです(私の場合です)。必ず自分に返ってきます。

ウソがどれほど人を傷つける行為か。。。

私は、ウソは人を裏切る行為だと思っていますが、人様ではなく、株分け?してもらった親、自分がこの世に生まれて来れた根源の親にウソをつく、という事がどれだけ恐ろしい事か、世の中の大半の人が真の意味を理解していないように思います。

天に向かって唾を吐く行為そのものだということが分からないのだと思います。

ということで、自己愛性人格障害者がウソしか吐かないから、自己愛性人格障害者の事を極悪人仕様でこのブログで書いている訳です。

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古き良き時代

・高校から大学までの間、店頭販売・家庭教師・チラシ配り等々の長期短期のみんながやるようなアルバイトを経験しています。

・社会人のスタートは、普通のOL(とあるメーカー)。

私のOL時代は丸3年間のみで(大学を1年留年していますので、24才で入社、27才で退職)、バブルがはじける随分前の、日本の経済が右肩上がりの時で、会社の取引先はほとんど商社でしたが、その頃の商社マンは接待が仕事のような感じでした。

朝一番でM菱商事などの社員が来社してくると、応接室に通した後にお茶を入れてそこに戻ってくると、部屋全体にアルコール臭がしていましたし、その社員もまだ酔っ払っていました♪

化粧はOLになってから覚えたのですが、化粧を通して、これもまた、本当に人間らしい女性の先輩社員Mさんとの出会いがありました。

スポックさん、口を『えっ』っていう形にしてぇ(そこで口紅を塗り塗り)
いやあ~、よく似合うわきれいやわ~。
これ(私のために開封して、たった今私の唇に塗ってくれた口紅)あげるから、明日からしてきたら良いよ♪

と言ってくれたのです。

『化粧ぐらいして来いよ』ということだったと思いますが、このMさんは何と見事だったのでしょう!

Mさんは、私より5才位年上の、口の悪い男性社員が(親しみも込めて)、Mさんに『行けず後家』(もう死語になっていますが『オールドミス』とか)何とか言っていましたが、私はMさんは本来の女性の良い面を持った人だったと思っています。

パワハラについては、その人にとっては今風の言い方をすれば、パワハラされている、と感じていたかもしれませんが、男性同士の上司と部下の関係はやはり厳しいものがあったと記憶しています。

当たり前の事なんですけれどね、利潤を追求する企業で働いていて、失敗した時に『ドンマイ』と言ってもらえるはずがありませんので。学校のクラブ活動ではありませんから。

あっ、ですが、財閥系の銀行とか、商社とか、人から聞いた話では、上司が部下を叱るときに、公衆の面前でその人の机の上に正座をさせて土下座をさせるとか、給料ドロボーとかお前はAHOかみたいな人格否定をするとか、そういう事があったようです。

また、その時代は、男性社員はほぼ全員が(笑)セクハラ発言をしていた思います。

『うちの女の子に連絡入れておいて』
『君、お茶』
『あっ、タバコ買ってきて』等々。

以上のような事を言われると、私などは、普段から『自分が吸うタバコは自分で買いに行け』と思っていたせいか、ある日、客の商社マンにこう口走ってしまうのです。

私:
ご自分で吸うタバコは、ご自分で買いに行っていただけませんか?

商社マン:
その通りだね。君の言う通りだよ。

と。

生意気な女、とその商社マンは思ったかもしれません。10才以上も年下の女に言われたのですから。。
また、その商社マンは、社会人になってから(女から)そんな事を言われたのは、おそらく初めてだったでしょうから、どう切り返して良いか分からず、上記のような返答になったように思います。

給料は、入社3年目の女26才の私が12万円の時に、新入社員男24才が20万円くらいでしたねえ。

女性は(日本の?)、長い時間をかけて理不尽を受け入れてきていますから、こんなに開きのある男女間の待遇の差について、女性社員は誰も文句を言わなかったのですけれど、私などは、総務部長に『なぜですか?』みたいな事を聞きに行っています。

給料の面では納得できませんでしたが、人間関係は、本当に良かったと思います。企業といえども、その人間関係には、人としての温もりがありましたので。

やはり、月並みな言い方ですが、良い会社には良い人が集まってくるのでしょうか?
はたまた、時代が時代だったからなのでしょうか?

自己愛製人格障害者のようなサイコパスは居ませんでした。(私の環境には、困ったちゃんも自己中も居なかったですね♪)

塾講師時代

結婚してからしばらくして、同居していた自己愛性人格障害者(当時は、自己愛性人格障害者の存在など知らず、異常な人だな、という認識)の姑から離れるために、特にやりたいと思っていた訳ではない塾経営をすることになりました。

姑のうっとおしさ
姑が嫌いで胃痛薬がはなせなかったおば様今回は、「自己愛性人格障害者であろう姑」と「その姑のイケズに苦しんだ親戚の若いおば様」の話。 管理人は、人生の黄昏期を迎え自分が姑になった今、ふと思いだ...

その当時、同居している親元から嫁が離れて別居するには、大義名分が必要だったから(世間が嫁のワガママを許さなかったから)、アルバイトで努めていた病院の医療事務の仕事を辞めた私。

『塾をやりたいんです。そのためには事務所が必要だから、店舗付きの住宅に引っ越す事になりました』云々と言って、ようやくストーカーのような姑から離れることに成功。(直径5cmの胃潰瘍ができたりしていたのです)

塾は、口コミ等で面白いように生徒が集まり、家計は潤っていくのですが。。。

ここから、私の転落?が始まります。

・やはり(ストーカー並みの)姑からは逃げられず、姑が毎日遊びにくるようになる

・周囲のオカルト集団S会の信者に塾経営を妨害され始め

・夫が会社でパワハラを受けるようになり自主退職せざるを得なくなり

・家を手放す(夫は再就職)

・実家に助けを求め同居させてもらうが、父がアルツハイマー症になり境界性人格障害者のような症状を現じ始める

・父の暴力に命の危険を感じ家を出る(このころ、完璧に塾をたたむ)

・夫の失業・再就職と家を手放した影響で家計が逼迫してきたためにサラ金会社に勤め始める

・勤め先のサラ金会社と家に父が押しかけるようになったため、そのサラ金会社は辞めざるを得なくなり、さらに父が来れないくらい遠方に引越しし直す

・サラ金会社を辞めたため次にどこでも良いからと、後に裁判相手となるピンハネ商事に入社する

・ピンハネ商事に入社直後からお局にイジメられるようになる(丸4年間)。

・ピンハネ商事に入社してから2年後くらいのある日を境にして、経営者の自己愛性人格障害者の銭亀社長から何度も退職強要されるようになる

・入社5年目に、銭亀社長から解雇通告され、会社ぐるみで退職強要・閑職待遇された挙句にクビとなる

・解雇無効の裁判をおこすも3年7ヶ月闘って逆転敗訴する(その間夫が亡くなっている)

・その後、旧知をたよって再就職し、そこで5年間勤務した後、現在の会社に入社する(5年前)

・そして。。。またまた自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャと遭遇する

・この5年間、自己愛ハンニャのターゲットにされ続けている

職場イジメがある事を知る

OL時代(昭和50年代)とサラ金会社時代(平成7年ころ)は、特に、ヘンな社員は居なかったと思います。

平成10年ころに、私は銭亀社長の経営するピンハネ商事に入社していますが、このころの日本は、政界の激変ぶり、世の中を震撼させた毒カレー、世界は核実験、米英によるイラクへの攻撃等々、さらなる最悪の時代の幕開けのような年でした。

人々のモラルは乱れに乱れ、日本人の道徳心がついに壊れてしまったかと思えるような出来ことが次々とおこりました。

そんな時期に、自己愛性人格障害者が経営するピンハネ商事に入社していますが、世の中の乱れに比例して壊れているような社員だらけの中で、自分の心の安らぎは全くと言っていいほど無くなっていきました。

・私だけにおやつが配られない

・目の前で誹謗中傷される(固有名詞が出てこない話し方で)

という職場イジメが毎日続きました(丸4年間!)

人生で初めての体験でした。ネチネチいじめられましたねえ。

世の中にこんなヤツが存在するのか!?こんなヤツ、以前から存在してたんやろか?気づかんかったんかな?何?これは一体どういうことなんや?同じ人間なんか?というふうな思考とは言えない考えが、頭の中をグルグル回るだけで、だけれども確実に傷ついているのが分かるし、ストレスは相当のものだったと思います。

(あっ、ですが、何回か?何回も?やり返しています♪『この子しぶといから堪えんからな』とお局様が言っていましたねえ♪)

髪振り乱して働く

親にウソをつくようになってから、約30年後のこと。
大恩ある母親にウソをついた結果が出始めたのが、塾をやりはじめた頃で、上記に書いたような生活になっていきます。

2人の息子達の一番大事な時期に(長男が12才~20才、次男が8才~16才の時)

・モラハラとパワハラを受けていて心に全く余裕がなかった
・クビになって裁判していた

という最悪の時を過ごしています。

モラハラパワハラを受けるのは悪縁に遭う事で、クビになるのは大恩ある母親にウソをついて蔑ろにした結果だと思っています。

(あっ、今、一人暮らしだった母親を呼び寄せて一緒に暮らしています。私は3人きょうだいの真ん中なのです♪)

以上のような人生の最中です。

裁判官からみたウソが罪にならなくても、神様仏様からみたウソは(特に母親についたウソは、自分の身を滅ぼす最大の要因で)、確実に罪になります。(兵奴の果報?)

罰があたるというのではなく、その原因があって、それに見合った結果が出る、という科学的な思考がもたらす結果として、ウソは身を滅ぼすという結論を得たというものです♪

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