オバタリアンもじってジコアイバタリアン?
“ジコアイ”のことが。。。
5~6年くらい前は、食料の自給率を上げるために○村拓哉が↓
米作りに汗する男はカッコ良すぎる。
な~ぁんてコマーシャルかなんかで言ってくれないかな?なんて思っていた。
そうすると、農業こそ憧れの的の職業という社会現象・神話がつくられ、農業に就職する若者が爆発的に増える!そして、自給率100%になれば日本がアメリカの植民地国的な立場から開放される!はずだと。
何が言いたいのかというと、
自己愛性人格障害者のことを社会現象にしたい。
どうすれば良いのか?だ。
流行語大賞を取らねば!なんて思ったりもする。
そこで、オバタリアンという言葉について↓
漫画家の堀田かつひこ氏が4コマ漫画などで”あつかましい中年女性”を描いたことから派生してオバタリアンという言葉ができた。
おばさんのマナーへの憂いをつづった何かの投書にこの言葉が用いられていたことから、一気に認知度をあげた。
政治家の土井たか子氏がこの言葉を愛用していた。
(1989年流行語大賞受賞。土井たか子さんと堀田かつひこさんの2人揃っての受賞だそうです。)
この・・・タリアンが、ケモノっぽくって良いじゃないか。
自己中=自己虫というのもあったなあ。
自己愛性人格障害者はオバタリアンの厚かましさとは全く異なる自分が優れていると信じてやまない厚かましさを持っている。
オバタリアンの厚かましさは目に見えるものだが、自己愛性人格障害者のそれは目に見えないもの。
また、自己愛性人格障害者は自己虫の自己中心性とは全く異なる人を貶めて被害者を演じた上で自己主張するという周囲にバレにくい自己中心性を現わす。
一見しただけでは目に見えない(非常にわかりづらい)ものだ。
サン・テ・クジュペリの星の王子さまの大事なものは目で見れないというセリフがあったが、目に見えないものをどう表現するのか、難しい。
そうすると、(突然ですが)お釈迦様が説いた法華経等は、マリーさんやクジュペリさん西洋人の発想の遥か上をいく深~い洞察で説かれていて、お釈迦様がすでに自己愛性人格障害者のことを見抜いていると分かる箇所がある。
自己愛性人格障害者という言葉は近年できたものであるから、お経の中にそのまま出てこないが自己愛性人格障害者は畜生等々(犬猫だけという意味ではありませんので)と表現されているようだ。
嬉しいじゃないか♪♪
自己愛性人格障害者はケモノと思っている私は、強力な裏づけを得てサアーッと何かが洗い流されて生き返ったように感じる。
(3000年前の人が知ってはったんや~♪)
ジコアイエイリアン?
自己愛性人格障害者の不気味さは、まさに画像のようなイキモノが自分の側にいる不気味さだ。
人間の形をしているのに人間という感じがしない。(ケモノの魂が入っているんだからね)
これを世に知らしめるには、やっぱり4コマ漫画かな?
私は多少の絵心はあるが、売れる漫画を描ける可能性はゼロ。
自己愛性人格障害者から、これでもか!これでもか!という攻撃を受け、うつ病になり(ごめんなさい)、のたうち回って自分を取り戻した経験のある、売れている漫画家さんへ↓