困ったちゃんレベルなどではない〇チガイ

自己愛性人格障害という言葉をご存じのみなさん、お元気ですか?
『発言小町』や『5チャンネル』では有名?になっている言葉ですが、自己愛性人格障害者のターゲットになった経験がある私たちは、自己愛性人格障害者という言葉を、まず企業内では誰でも知っていて危機管理のマニュアルに記載されている必須事項になっていることを望んでいると思います。
前回の記事でわたしは、『自己愛性人格障害者』という言葉が、ひまわり学級やウツ病くらいの認知度になっていてほしい!と書きました。
企業でなら、上司(や周囲の社員、社長まで)が自己愛性人格障害者について十分に知識があれば、優秀な社員が自己愛性人格障害者によって病気にされ退職していくのをストップできます。
それよりも、それ以前に、自己愛性人格障害者の被害者が受ける二次被害を防げます。
二次被害というのは、みなさんも経験があると思いますが、自己愛性人格障害者による精神病になるのではないかと感じるくらいのイジメがあり、それが一般常識では100%あり得ない内容であることから、相談した同僚や上司に信じてもらえず-『あなたの勘違いじゃないの?』『腹の虫の居所が悪かったんでしょ、相手はシマッタと思ってるんじゃないかな?』みたいなことを言われて壮絶な孤独感の中、誰も味方がいないと感じて、それで精神を病んでいる人をおみかけします。
自己愛性人格障害者を知らない人は、私たちの言っていることを信じられないのです。
そんなイキモノがこの世に存在していることを知らないのです。
未知の世界の事は、人は必ず?否定的ですから、二次被害は必ず発生するのです。
ところで、発言小町などネット上に散見される自己愛性人格障害者についての分析ですが、コメントに書き込まれている自己愛性人格障害者の症状については全部が全部、自己愛性人格障害者についてのものだという感じはしません。
昔から存在している、困ったちゃん、自己中、わがまま、ヒステリー、イケズなお局等々も混ざっているように感じます。
自己愛性人格障害者はそのようなレベルではなく、
・〇つじんをしないサイコパスだと言える
・会社を潰すほどの力がある
というものだと思います。
昔『プレデター』という面白くもなんともない映画(監督さん、ごめんなさい)がありましたが、あれはサイコパス(か自己愛性人格障害者)の映画だったんだ!という目線で観ると自己愛性人格障害者のことがよく分かると思います。
ひと56しをしないサイコパス=自己愛性人格障害者と考えるとあの映画の趣旨が理解できると思います。
↓
自己愛性人格障害者はハチュウ類と同じで本能までの発達で止まっている(感情→理性は発達しなかった)
・顔(正体)がバケモノだから面をつけている
↓
いつでもどこでも人が居れば、ニコニコし過ぎる顔でサワヤカ過ぎる態度をとる
・自分で傷を修復できる
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『自分は凄いやつなんだ』という妄想の中に入れるから凹まない(妄想と現実が区別できない精神病者)
・人間界にはないブキを持っている
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あの言葉遣い(ブキ遣い)には対抗できない(論理のすり替え上手すぎる)
・透明人間になれる
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周囲の全ての社員等に隠密で根回しできる(見えないイジメを基本とする)
・FBIが全滅する
↓
社長も弁護士も企業も勝てない(経験則です、仕えていた社長が失脚させられた)
この映画ではプレデター(という宇宙人)がさつりくを繰り返しますので、サイコパスの映画だと思いますが、さつりく以外については自己愛性人格障害者について表現していると思います。
自己中な底意地悪い困ったちゃんやヒステリックなお局ですら人を精神疾患にしてしまいますが、自己愛性人格障害者の恐ろしさはそのしつこさにあると私は思っています。
『発言小町』の中に「その正体が周囲に分かるまで10年かかりました云々」とありましたが、自己愛性人格障害者は、その正体はターゲット以外には決して気づかれないように陰湿に粘り強く=しつこく、自分が被害者のように見える手法でターゲットを攻撃するのです。
ですから、割と短期間で(主観的なんだけど、2~3年間とか、そのうちとか)、ほぼ全社員が知るようになるとか、という状況にはならないと思います。
さて、プレデターですが、人が『かくかくしかじかなイキモノが現れた!』と言っても、私たちは、自分の目で見ない事には信じられないことでしょう。
アメリカのように、企業面接のやり方を『Snakes in Suites』という本の考え方を採用して、社内にサイコパスや自己愛性人格障害者が入社しないような水際作戦をとる、というふうにいずれ日本もなっていくのでしょうか?
被害者の自分がどのようにすればインフルエンサーになれるのか、を考える日々です。