陰湿ないじめ
昨日の記事↓
ここでは何が言いたいか分からない内容になったと思います。
亡くなった中3生を非難しようと思っていませんし、そもそも赤の他人の何も分かっていない私のようなものが人様の事を云々できるはずがありません。
昨日までの時点では、マスコミと学校と周囲の人達に対して憤りが湧いてきて、その状態で書きなぐったように思います。
幣ブログのどこかに書いていると思いますが、マスコミが亡くなった被害者の名前(と顔写真)を公表したことは許されません。現行の少年法を遵守するなら決してやってはいけない事をマスコミはやったのです。(バカですか?)
今となっては取り返しがつかず、亡くなった中3生のご家族はこの先、壮絶な人生を送ることになってしまいます。
万歩譲って少年法に抵触せざるを得なかったとするなら、加害者少年の名前と顔も公表しなければ、その不公平さに被害者家族はさらに苦しむことになると思います。
亡くなった少年の顔写真がYahooのトップページに載っていましたが、卒業アルバムっぽい写真です。
これをマスコミに渡した人が、亡くなった少年の同級生18世帯(当事者2世帯を引いている)の中に居る、ということになりますが、写真をやり取りした(仮に)XとYは、法律では裁けないとてつもない大きな罪を犯したと思います。
しかし現時点では、彼らXYは責任を取る必要がない。。。誰からも責められない。。。公には。。(お前ら、名前と顔を晒せ、と言いたい)
将来もし自分のやったことのとんでもなさが分かった時には、罪悪感に苛まれて苦しんで生きていく可能性はあるかもしれませんが。。
むしろ、記者のXはデスクから褒められたかもしれないし、被害者少年の同級生家族Yは良い事をしたと思っているかもしれないし、法律でXYを裁けないことからXYの名前は永遠に晒されることもないでしょうから、XYが己の罪に気づくことはないのかもしれません。
さて、当の中3生2人ですが、
(仮の話です)↓
② 亡くなった中3生が人格者や普通の中学生(=そこらへんどこにでも居る中3生)だったなら、生きている少年はサイコパスだった
というふうに思います。
とても飛躍した極論ですが、私のキャパと言うか、自分の想像力や感性等々を全部もってきて思考した結論がコレなのです。
(マスコミ発表の内容を信じるとして=わたし、基本的にマスコミの言うことは信じないので)
・亡くなった少年を呼び出していた
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この2つのことから、上記①のように、刺した少年は亡くなった少年にいじめられていたのだろう、と考える人は多いように思います。
しかし、昨今『何が起きるか分からない』、『想像を絶することが起きていく』世の中であるから、相手から何回か(もしかして一回でも?)ムッとさせられるような事があっただけで、上記②のような、相手を刺し56してしまうサイコパスなのではないかという意見もネット上には散見されます。
そこで、(おそらく一番多いであろう意見だと思いますが)先生や保護者の見ていないところで、執拗に、長期間にわたってターゲットをこき下ろすいじめっ子について考えたいと思います。
(言っちゃあなんだが、保身の塊と化した公務員である校長の場合、いじめっ子の正体は絶対に見抜けないし、周囲が見て見ぬふりする卑怯者ばかりだと、『いじめは無い』と言って済ませるだけだから↓)
ヒアリング能力、っていうのでしょうか、企業でコーチングの研修をする時に聞きますね。
・真実を引き出す力
・曖昧な概念を明確にする力
こんな高度なものを保身の権化が持っているはずがありません。



↑
バカですか?
(人をイジメるときは、だっ、れも見ていない、気づかれないところでヤルんだよ。顔を殴ったり、アザを付けずに言葉でヤルんだよ。という世の中になったのを分かれよ。)
それで、言葉でヤルというのはまさに自己愛性人格障害者の手法じゃないか!と思いませんか。
しつこく的を得た人格攻撃
大人の自分が、少なくとも3年間くらいは毎日毎日、『(自己愛性人格障害者であろう)自己愛ハンニャに〇んでほしい』と思って出勤していた事実があります。
おそらく?自己愛性人格障害者からターゲットにされている被害者は、私と同じ気持ちを抱くと推察します。
で、私は、
・自分がしのうと思ったか?
・自分が会社を辞めようと思ったか?
という3つについては、自己愛ハンニャと関わっていた6年間どれも考えたことはありませんでした。
解決策があるはずだ!
常にそう思っていたことから、社内トップの社長に進言したり、役員一人ひとりにも相談・進言し、自己愛ハンニャの正体を知りたい!との強烈な思いから専門書を読み漁り、自己愛ハンニャへの対処法を会得した(かもしれない)後などは同僚達にそれを伝授したり、また、日々のストレスを完璧に発散させるためかもしれませんが幣ブログに書きまくったり、とにかく、今のような穏やかさを手に入れるまでは、『自己愛ハンニャに〇んでほしい、いつ〇ぬのかな?、自己愛ハンニャにとんでもない不幸が起きて苦しめば良いのに!』と思って、自己愛ハンニャに勝るとも劣らない恨み・憎しみを増幅させていたように思います。
解決策の一つとして、大人?の自分だから、いじめっ子の自己愛ハンニャから逃れるために、自分の意志で会社を辞めることはできました。
しかし、経済的に自立していない中学生ならどうでしょう?
自分の意志で転校することなどできません。せいぜい、仮病を使って学校を休むくらいです。根本的な解決は法定代理人である親等が、あるいは、学校側がイジメの事実を掴んでいなければ転校はできません。
『最悪の場合、転校すれば助かる』という希望は、中学生にはないのです。(いじめっ子を隔離する法律が要るよ?)今回の包丁少年がいじめられっ子だったとしたなら(あくまで仮定の話です)、希望がなかった訳です。
人は、希望を失ったときに自死を選ぶのだと思います。
これまで自死によって亡くなった子供達はみんな、希望を失ったのだと思います。
とにかく、自己愛性人格障害者は、そのターゲットになったことがない人には想像できないようなターゲットへの妬みを持っていて、ターゲットが不幸になれば嬉しくて仕方がなく、それを平然と口に出します。(これをシャーデンフロイデと言います。)
また、数年(~一生の場合もある)にわたって人を妬み恨み続けることができるシツコさを装備しています。
もはや、一般的な人間は100%太刀打ちできません。
ましてや、中学生には!
自己愛性人格障害者は人が苦しむ姿に快感を覚える本能をもっているのですから、それが本能から出ているためシツコイ訳ですから、私たちが彼らの本能を断ち切る以外、彼らからのアタックが止むことはありません。
人格障害者の本能を断ち切る方法とは?
簡単な方法は包丁少年の手法でしょう。一般的な大人は(大半の人は)ココを選びませんが。。
ところで仮に、
包丁少年がサイコパスだったとしても少年法に守られて、彼が出所してきて普通に生活していたなら、普通の女性と結婚し子を持つ父親になる可能性もあります。
私達には彼の名前も顔も分からないから、ある日自分の娘が『この人と結婚します』と言って彼を自宅に連れてくるかもしれません。
現行の少年法では、上記のようなことが起きる可能性はいつでもある訳です。怖いですね。
ですが、娘(や息子)の結婚相手がサイコパスかどうか見抜くことが出来る人は何パーセントいるのでしょう?結婚してはじめて分かった、という現実があるだけのように思います。
そして、苦難の離婚裁判劇が始まったり、ある人は会社でパワハラを受けて精神を病んだり、時にはある人は自死までしたり等々の人生劇場が繰り返されていくのだと思います。
生きるって大変だあ~