直感的に感じる違和感
企業などでは、そろそろ人事異動が始まる時期になった。
また、入学・入社で新しい人間関係ができていく時期。
あいつとは離れたい。あの上司、転勤してくれ。等々思いながら、淡い期待も胸に抱くこの時期に、すでに自己愛性人格障害者だと分かっている上司の部下になってしまった(最悪の)状況を迎えている人もいるだろう。
とある心理学者によると、
・ニコニコし過ぎる
3人?もの自己愛性人格障害者とガッツリ関わってきている(ターゲットにされてきていて現在進行形の)私なども、全くその通りだと思う。
ナルシシストの心の闇が分かる発言③で書いたが、自己愛性人格障害者は、顔の筋肉の動かし方がおかしい。
周囲に人がいたら、しかも肩書き立派人間がいたら、口角を上げて歯をみせるなんて事をする。
一般に、社内で肩書き立派人間とすれ違う時、そんなにニコニコしないだろうが、不機嫌な顔もしないというところだろう。
私達は、そういう瞬間など嬉しい訳でもなく、幸せでもないだろうから、笑わない。ニコニコしない。
だが、自己愛性人格障害者は、自作のシナリオに肩書き立派人間がいたら口角を上げて歯をみせると書いているから―本能に刻み込まれたシナリオだから、肩書き立派人間の前では瞬時にして口角が上がるのだ。
しかし目は笑っていない。
目が笑っていないから(エエ年して)目じりにシワがない。(だから童顔に見えるのかな?)
兎に角、全くニコニコする必要がない場面なのに、ずーーーーっと口角を上げているから観察すべし。
笑う必要がないと言えば、うちにノーカンメというパーソナリティ障害者がいるが、免許証の写真が笑っている写真なのだ。
(う~む確かに。運転試験場の担当者は、肩書きが立派な人かもしれない。)
先日自己愛ハンニャが、入社してきた若い社員達に必要書類の説明をしていたが、そこには社長(世間にあってもセレブなのです)が臨席していたから、事務的な説明をするだけなのに、自己愛ハンニャは30分もの間ずーーーーッと口角を上げたまましゃべり続けていた。
こんな事、常人にはできない芸当だ。
こういう自己愛ハンニャを見る度に、親に捨てられた乳児院の乳児が職員に愛想笑いをするという話を思い出す。
良い子でなければ母親に認めてもらえない
母親に認めてもらえなければ生きていけない
という悲惨な過去があったであろう自己愛ハンニャは、現実の自分が母親にとっては良い子ではないから、良い子なんだよと見せるために咄嗟に愛想笑いをするようになったのだろう。
自分はそのままで愛されているんだ
人が認めてくれなければ、瞬時にして、子ども時代の母親から拒絶された可哀想な自分になってしまうのだろう。
だから、何が何でも周囲に認められる良い子の自分でないといけないから、30分もの間、口角を上げ続けることが出来るのだろう。
そして、現実の自分は、そこにいる人全員に認められる訳ではないから、自己愛ハンニャは、人が認めてくれない現実にぶつかる度に、子ども時代の真っ暗闇の記憶の中に落ちていき、恐怖と孤独の中、発狂しそうになったことだろう。
その恐怖感は私達の想像を絶するもので、生死の境をさ迷うほどのものだったに違いない。
そして、そういう自分を救うためか(生きるために)、自然と空想の中で自分はみんなが認める凄い存在なんだと思うようになり、それが現実であることが分からなくなるほど空想の世界にのめり込まざるを得なかった。
それほど、現実の自分は(自己愛ハンニャの母親が言っている)良い子ではなかった訳だ。
前回のナルシシストの心の闇が分かる発言③には自己愛ハンニャは、空想した世界を口に出して私をビックリさせた事も書いた。
自己愛ハンニャは、A方面の得意先獲得の責任をもたされた営業部長。
私は、社長秘書+全社の得意先管理
これは5年前から決まっていることだが、自己愛ハンニャは、自分こそは社長秘書にふさわしいなどと口走ったりして、社長秘書職を狙って3年にわたってゴテ続けている。
社長は社内で一番権限があるが、世間においてもその名を聞けば分かるくらいのセレブの人。
そういう社長だから、自己愛ハンニャにとっては、その社長秘書職は自分の身を飾るとぉ~っても豪華なアクセサリーになる。
という空想が、客の前で、社長秘書をやっております自己愛ハンニャと申しますと言わせた訳だった。
タイトルからかなり外れた話になったが、自己愛性人格障害者がニコニコし過ぎる理由を書いておきたかった。
それで、相手を自己愛性人格障害者だと見抜くには、自己愛性人格障害者のニコニコし過ぎる顔に違和感を感じるかどうか、にかかっていると言っても過言ではないと私は思っている。
そういう感性を持っている人なら、あとは、自己愛性人格障害者に関する専門知識を身につけることで何なりと知恵が湧いてくるはずだ。
(自分の直感を信じろ!と言いたいです♪)