悲しくも辛くもないのに泣いてみせた自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャ
以前に、自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャにガンジガラメにされていた教イゾンさんを私等が介抱したことを書いたが、
今回は自己愛性人格障害者にボロボロにされて亡くなっていった教イゾンさん自身について書こうと思う。
彼女は、一人暮らしの金持ち(その故・夫が自営の社長)で、自己愛ハンニャの部下だった。
彼女は仕事もよく出来て、年相応の落ち着きと優しさとをきちんと持っていて、何よりも筋の通った事を言える女性だった。
だが、彼女は、晩年、自己愛ハンニャに縛られたまま―家まで自己愛ハンニャと同じ町内会(50mくらいしか離れていない)に引っ越しさせられ、一ヶ月近くも誰にも発見されないまま一人さびしく亡くなっていった。
なぜこんな事になってしまったのか!?
この過程を書いていくと、自己愛性人格障害者の残酷さが浮き彫りにされてくる。。
というのは専門家の指摘するところだ。
共感力のなさ。。その判断基準となるアメリカ精神医学会が定めているマニュアルの第7番目に出てくる、共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。という症状に該当する。
この症状は、一見しただけでは『ふ~ん、そういうものなのか。。』『人の気持ち分からない人なんだね』というような感想を抱くかもしれないが、そんな生易しいレベルのものではない!という事も今回は書きたい。
自己愛性人格障害者の共感力のなさは、まさに、サイコパスそのものじゃないか!と、改めて驚愕し直した私。
小さいながらも商売は繁盛し、世間一般では裕福な部類に入る人達だった。
そこに、新婚の自己愛ハンニャが教イゾンさんの住むマンションに引っ越してきた。
そのうち、自己愛ハンニャには2人の娘が生まれたが、教イゾンさんに子供が居なかったことから、彼女は、自己愛ハンニャの2人の娘を自分の子のように可愛がった。また、お金も使った。
(ここまでは世間によくある話)
そして、自己愛ハンニャは手狭になったマンションから一軒家に引っ越すに当たり、この教イゾンさんに声をかけ―自己愛性人格障害者お得意のヒト類コントロール術や根回し術を使ったんだろうなあ、教イゾンさんは、自己愛ハンニャの住む50mと離れていないところに引っ越したのだった。
そこから教イゾンさんの地獄が始まっていくが、教イゾンさんはこの地獄を抜け出る前に一人さびしく亡くなっていく。生涯自己愛ハンニャから離れることができなかった。
教イゾンさんは、新居に引っ越してから、しばらくしてから夫を亡くすが、決してお金には困らなかった。
1人身になった教イゾンさんは、自己愛ハンニャに誘われて―世間で商売を営んできたこの社長婦人の営業力が買われて、彼女は、私より少し前にうちの会社に入社している。
当然、自己愛ハンニャの部下となる。
自己愛ハンニャの目的は、ここで一つ達成したことになる。
長年、教イゾンさんは社長夫人で、自己愛ハンニャはサラリーマン。
自分が負けていた相手が、今日から自分の部下、という状況は、教イゾンさんと自己愛ハンニャとの関係を激変させた。
教イゾンさんは、30年近くも自己愛ハンニャと関わってきていて、20年間は同じ町内会で暮らし、亡くなる前の数年間は、自己愛ハンニャの部下として働いている。
教イゾンさんは、夫を亡くした後に自己愛ハンニャの部下になったが、それから割とすぐ位にうつ病を発症している。
教イゾンさんは、亡くなるまでの数年間(=自己愛ハンニャの部下だった数年間)、発症したうつ病が治らなかったが、うつ病の原因は何か。。彼女は姉御肌的なところがあり、誰にでも優しく、誰かがいじめられていると、相手のいじめっ子社員にきちんと物申す女性だったから、自分の夫が亡くなったからうつ病になったとは考えにくい。
やはり、自己愛性人格障害者の部下になってしまった事が、うつ病の原因だと大概の人はそう思うことだろう。
ある日、教イゾンさんから直接(近所なので)総務の自己愛ハンニャに『体調がすぐれないからしばらく休みます』という連絡が入っていたらしかった。(私たちは姿を見ないなあ、という認識を持っているだけだった)
そしてだいぶしてから、自己愛ハンニャから私たち社員に、社内回覧にて『教イゾンさんが亡くなりました』という連絡が入った。
自己愛ハンニャの下の娘が、教イゾンさんの家の前を通ったらしく(小遣いでも巻き上げに行ったんだろうねえ)、ポストから新聞がこぼれ落ちていたため、いかに出来の悪い娘でも『もしかして。。』と思い、警察に通報したとの事だった。(検視の結果は1ヶ月近く前に亡くなっていたとの事)
自己愛ハンニャはそれまでの1ヶ月近くとその日と、一体何をしていたのか?
『体調がすぐれないから会社を休みます』と、50m離れた場所に住んでいる部下の教イゾンさんから連絡をもらっておきながら、1ヶ月近くも訪問も電話もしていない、という事だ。
そして、教イゾンさんが亡くなった日、警察に通報した自己愛ハンニャの下の娘が検視に立ち会ったというが、当然娘は自己愛ハンニャに連絡を入れただろう、しかしその日、自己愛ハンニャは終了時間まで会社にいた。
そして、その後の通夜式と告別式で、自己愛ハンニャは、
教イゾンさんは(ぅうー)、私たち家族にとっても(嗚咽)、部下としても(うう~嗚咽)・・・言葉になりません。。。
と、見事に泣いてみせたのだった。
違う意味でのターゲット―自己愛性人格障害者からの凄まじい搾取を受けた人
私の知っている教イゾンさんは、大らかで優しい女性、きれいでおしゃれ。
しかし、教イゾンさんは、年を経る毎に見る見る人相も人柄も体型も変わっていき(ほんの2~3年間で)、亡くなる少し前は、誰が見ても精神状態が不安定な事が分かる状態で、精神病院から外泊許可をもらって家に帰ってきている病人にしか見えなかった。私などは、もう退職した方が良いのでは?と思っていたくらいだった。
教イゾンさんは、きっと、お金。もの。という次元で自己愛ハンニャにたかられていたはず。
そして、自己愛ハンニャから精神的に罪悪感を負わされ、奴隷のように縛り付けられ、奉仕させられる生活から抜け出せなかったのだ。
今となっては推測の域を出ないが、教イゾンさんは、
あなたのためを思って言ってるのよ
という、自己愛ハンニャの健気な演出の言葉に心を動かされ(コントロールされ)
教イゾンさんがそれを(高級品を)くれると言ったよ
という自己愛ハンニャの自信タップリの言葉に、モノを巻き上げられ続けて、すっかりエネルギーを吸い尽くされて、限りなく気力ゼロに近いうつ病になってしまったのだと思う。
私が教イゾンさんと知り合って、彼女から悩みを打ち明けられた時は、彼女はすでにうつ病になってしまっていた。
教イゾンさんの訃報は、『家を売る(=自己愛ハンニャの50m先に住んでいる事をまず止める)』という話をしていた矢先の事だっただけに残念でならない。
はじめまして。義母がまさにこれです。気付いた時は、子供2人、一人息子の主人は義母と共依存関係。義母は三年前に義父を亡くし一人暮らしをしていますが、一人息子に電話をかけてきては(私には内緒)ことある事に利用します。母が住んでる場所は、小学校、中学校のすぐ近い場所で、二人の子供を学校帰りに家に寄らせては、おやつや夕食を与える傍ら私の悪口を吹聴していたようです。
読んでいて本当に怖いです。それは、生易しいものではないことがとても良く分かるからです。主人も自己愛性人格障害です。歳を重ねて認知障害も出ています。親子共に、マインドコントロール、互いが搾取をし会い、行動に自己正当化、嘘をつく、共感性の無さなど、、、理解できないことばかりで私はなるべく関わりを避けることで今に至ります。
今の職場の社長も自己愛性人格障害で、ブラック企業です。社員はこれまで、何人もうつ病などで辞めています。どこにも気が休まる場所がなく、たまに、パワースポットを巡ることや、神仏に祈る事で気を休めています。
自己愛性人格障害は大きな社会問題だと思います。気晴らしだけでは解決しないと思います。どうしたら彼らを成仏(昇華)させることが出来るかを、日々、模索し、様々な本を読み、切磋琢磨しています。
当ブログに出会い、感謝いたします。