子どものころから生きづらかった―何障害?
同級生とキャピキャピした話ができない、楽しめない10代のころ。(こういう人って割といるのですね♪そうと知ってちょっぴり安心しています。)
愚痴っぽい人が苦手(嫌い)で愚痴言ってても何の意味もないやんと、相手を無意識に見下していたかもしれない大人になった自分。
記憶力が良すぎるというのを、今の社長に指摘されてから、自分という存在についてあらためて考えるようになった現在。
3才くらいから小6くらいまでの記憶はあるが(一部のある場面は鮮明に覚えている)中学校時代~高校時代~大学時代はほとんど記憶がない(辛かったんでしょうねえ)。
だが、社会人になってから現在までの記憶は明確なものが多い(これってどういう意味あるのかしらん)。
クラスで浮いてたな。。という記憶が鮮明な高校時代。
全身が孤独感に包まれていたせいか(他人とあまり話をしないから孤独かどうかも分からなかったかも)、読書三昧の日々だった(1日3冊くらい読破とか)。
同級生等の女子との会話がつまらなくて退屈で死にそうだった高校時代。
あなたたちと話してもつまらないオーラを出していたのだろう(プライドの高い嫌な女ですかねえ)、私に親しく近づいてくる女子生徒はほとんどいなかった。
同性の友達はいなかったが、男子とはよく話したり(毎日のように放課後一緒に集まったりして)、廃線になっているSL写真を撮りにいったり、廃屋探検、なんとか探検と称して一緒によく遊んだ。
(それと。。モテたのです♪)
男の子に生まれたかった!という気持ちを持ちつつ、自分は女なんだなという認識はあって、それは恋愛相手を物色する(失礼)というものではなく、単純に男子との会話を楽しむというものだった。(そういえば、小学生時代も男子と一緒に野球したり探検したり等々に夢中な時期がありました。)
社会人になってからは、配属された部署の同僚・先輩・上司が全員男性だったが、学ぶものが本当にたくさんあって、目から鱗が落ちていくいくような話がきける環境を得て、私は本当に初めて生きている実感を持てたように思う。
そんな自分だが、やはり愚痴は聞いていられない。自我が崩壊しそうになる。
結論のある話、あるいは、結論をみちびいていく過程のある話でないと、頭がついていかないのだ。いや、気分が悪くなってしまいそうになる時もある。
しかし、例えば、うちの社内で交わされるこんな↓会話、
とか、以下↓にいたっては異次元の世界の話で、会話不能だ。幼稚園の保母さんじゃあるまいし、誰もがアンさんもう会社に来なくていいからといううレベルやん?
大人の社会人なら、メンドクセェーッ!としか思わない(でしょ?)
気付き
そこで、自己愛性パーソナリティ障害者の自己愛ハンニャやノーカンメ等々が私に報告してきたある日の、社長との会話。

ただ、何年も前の出来事の日付を覚えていたり、一度会った客の社名・名前・顔・特徴・会話の内容等々を覚えていたりすることから、社長がそう言ったのだと思う。これって特技でしょ?
(それにしてもノーカンメはAHO過ぎるやろ!?)
社長の含みを持った言い方が気になって、ず~ッと考えていたら、なるほど!そういうことか。。と思い当たることがあった。
(分からない方がおかしい→無意識に相手を見下す)
という自分の心の働きは、高校時代そのままの自分じゃないか。。
↑
(自己愛っぽい!)
え”ッ!?わたし、自己愛性人格障害もってる??
(それにしてもノーカンメはAHO過ぎるやろ!?)
自己愛ハンニャやノーカンメは、企業人としては問題社員だが、私が見下していいはずがない。
なんで分からんの?
何でできんの?
(それにしてもノーカンメはAHO過ぎるやろ!?)
という思いが自然に自分をして相手を見下す態度をとらせ、私はノーカンメらに見下してますよオーラを放っていたのだろう。
とにかく、社長のひとことで自分の隠されていた(隠していた?)闇の部分があぶりだされた。
これで男性のボンクラーノ・ゆでガエル(男性)・ノーカンメらが私の前でいつもふくれっ面な理由がよく分かった。(これは大きな一歩です♪)
(レベルは幼稚園児だが)私にほめてもらいたかったのにほめてもらえず、反論したかったのに反論できず、腹に一物もち続けた結果がふくれっ面だった!ということ。
(それにしてもノーカンメはAHO過ぎるやろ!?)
会社ではあり得ないことだと思っているが、社長は私に保母さん役をしていきなさい、と私に言ったように思う。
(ということでした♪)