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言葉にのっている響きを聴きわける直感
バイオリンをやっている友人が言います。
↓
美味しいスイカは、叩いた時の音はみいしゃあぷだと。。
(みいしゃあぷ?ミ♯?ホンマでっか?ファのこと?)
わたしの知人のお子さんで知的障害のペコちゃんという女の子が居るのですが、ペコちゃんは人の発する言葉の響きが、慈愛なのか悪意なのかを明確に聴きわけられるようなのです。
その障害の程度によると思うのですが、直感・本能が突出している場合があり、良い人・悪い人(敵味方?)を見分ける能力は、とにかく優れているのだと思います。
先天性の視力障害(全盲)の場合、一般の人より聴覚が発達していると言われています。
そういう人の中でも全盲のピアニスト・辻井伸行氏は特に優れた耳をもっていて、ピアノは教えていないのに、2才で両手で弾くことができたと言います。(耳コピー)
最近の自分の自己愛性人格障害者研究?では、耳で聴いた音(自己愛性人格障害者の言葉)に違和感をもつはずだ!なんて考えていろいろググっていたら辻井氏のピアノ演奏の動画がでてきて聴いているうちにはまってしまいました。
・ラカンパネラ
・月光第3楽章
・幻想即興曲
美しすぎる。。
はかなくもあり力強くもあるヨーロッパの自然の息吹を表現しているその曲を、何千時間何万時間と費やして―盲目であるが故に楽譜を読むだけで5分のところを5時間かかる―同じ音を弾き続ける中にピアニスト本人の心の奥底にある本来の偉大な人間性に触れて感動して自然と涙がこぼれます。
辻井氏のピアノを聴いていたら(その姿も見ていたら)、自分の会社の役付きを人格障害者扱いしているわたしなどは、いつの間にか人間性善説を唱えています。
と言いますか、人間は本来は、その奥の部分(無意識層の下にある集団心理―ユング心理学―よりも下の部分)は、とても清らかで慈愛に満ちていて暖かい存在なのだと思っていたりもしていました。。
人間は本来は赤ちゃんの血管のようにきれいな状態の心なのに、コレステロールがビッシリくっ付いた血管のような状態の心になってしまっているのだと思います。それを一つのことに何千時間何万時間と費やすることでコレステロールが溶けていくのではないかな?と。。
どちらも↓感動させてもらえます。
・長期間の親の介護者、子育て最中の女性、企業戦士、無償のボランティア、やるべき事を淡々とやっている人等々のわたしたち一般人。
皆、一つのことに何千時間何万時間を費やした人ばかりです。時間こそ生そのものなのだと思います。簡単な言葉でしか表現できませんが「一生懸命生きている人」ということでしょうか。
(だから、わたしなどは、遅刻する人は罪が大きいと思っています。時間にルーズな人は信用できませんね、その人の生を奪っているのですから。。)
自己愛性人格障害者は、自分がやりたいと思って、一瞬でもある期間だけでも一つのことを一生懸命やることは一生無いのでしょう。自己愛性人格障害者は↓
・評価が上がることなら何でもやるから一貫性がない
・方々のものをかじりはするが5分もないだろうからスキルアップしない(全選択コピペだから1個ン秒でしょ?)
・人の目にふれないことは絶対やらない
という症状をもっているでしょ?
≪自己愛性人格障害者が人から奪ってでもやる仕事≫
自治会やPTAや会社等の組織で、一番目立つ仕事はなんでしょう?
・会議等の司会者
・会議等の資料作成
・登壇者(自己愛ハンニャの場合は実績が無いので連絡事項を伝えるだけ)
・社内回覧等の作成
・会長とか部長とかの肩書き
≪自己愛性人格障害者が一生しない仕事≫
逆に全く目立たない仕事は何でしょう?
・掃除
・火の用心
・会費徴収係
・高齢者の見回り
・クレーム処理
・営業
・自分の仕事(自己愛ハンニャの場合は重要な仕事は任せてもらえず単純なPC入力だけだから)
自己愛性人格障害者が①人から奪ってでもやる仕事、②一生しない仕事のうち、
①人から奪ってでもやる仕事については、わが社の場合、ノーカンメという役付きからは、簡単にその仕事―社長のお供役(運転)を奪えています。
ターゲットのわたしからは「会議で使う資料作成」「全社のデータベース管理」「社長秘書」の仕事は6年間ダダをこね、根回しし、社長に直訴し続けて手に入れています。(何と言っても目立つ仕事なのです♪)
自己愛ハンニャに直訴された社長(や私)は、自己愛ハンニャの要求を呑むまでダダをこね続けられますので貴重な時間が奪われてしまいますが、結局は折れてしまうのですよね♪(長時間すぎて仕事ができないためです♪)
②一生しない仕事については、その被害と影響は社長(会社)がまともに受けます。
例えば、(自己愛ハンニャは総務もやっているので)顧客先への案内状や年賀状を送る仕事があるのですが、年賀については2年連続して喪中のところにも送ったり、わたし達のチームが獲得してきた顧客先だけに送っていなかったりして、その責任は社長にいきます。
それで耳の話でしたね。
昔むかし、わたしが小中学生のころ(50年以上前)の話ですが、ある先生が、わたしたちが規則を破ったり、先生の言うことを理解できなかったりした時にいつもする事がありました↓


というふうなことなのですが、ある先生の言ってることが心の領域でものすごくよく分かるのです。自分が自分の心に問うていたのでしょうか、自分を見つめる時間だったと思うのです。
わたしは座禅自体に人を救う力は無いと思っていますが、座禅はお寺という荘厳な?生活感のある自宅ではない?場所ですのでゆっくり自分を見つめることができる訳ですから、得られるものはあるかもしれません。
ですが、ある先生のやり方の方が断然効果があると思います。
なぜなら、視覚をふさぐところまでは座禅とおなじですが、昔むかしの徳の高い先生(聖職者だったな、と思っています♪)の、叱る言葉はきつかったかもしれませんが、その行間に慈愛があふれているのを私達が感じることができて、先生の徳や慈愛を心に受け止めることができて心が動いたからです。耳です。
わたしは耳を否定している座禅は低級な思想・宗教?教え?だと思っています。
なぜなのかはすでに書きましたが、北島康介もオリンピック選手もバレリーナもオペラ歌手も棋士等々も、全員が師事すること=師匠の声を聴くことで自分を開いています。自分の中だけでは成長の幅は限られてきます。あるいは成長できないか悪い方向へいく場合もあるかもません。
キリスト教徒でもないのになんかスマート!なんかカッコイイ!と思って突然キリシタンになったり、なんか神秘的!と思ってその日1時間だけ禅宗の仏教徒になったりしても、自我を大きく育てることはできないでしょう。(理解できぬ♪)
心に響かない言葉だけ発する自己愛性人格障害者―耳をすませば―曖昧すぎてわからん
う~む響いて来ぬ。
ワ・レ・ワ・レ・ハ・ウ・チュ・ウ・ジ・ン・ダくらいのレベルなのですよね、自己愛性人格障害者の言葉の響きは!
自己愛性人格障害者自身が心をもっていないため、
相手の心の鐘を鳴らすことができないように、自己愛性人格障害者は自分が小説を読んでもサッパリ理解できず、自分の心に鐘自体が無いため響くことがないから、文字を目で追うだけに終わってしまい、あらすじは書けても、感想が書けない、ということになるのです。
そう言えば、わたし、小学生の時に○○市の作文コンクールに入賞して喜んだことがあったのですが、その作文のどこが良かったのかの批評を今でも鮮明に覚えています。
↓
自己愛性人格障害者の書く作文は、肉体が大人に成長したと言っても、幼稚園児か小学校低学年が書く作文と同じタッチです。(事実の羅列のみ)
朝起きました
顔を洗いました
学校へ行きました
給食を食べました
捨て猫を拾いました
父に隠れて飼いだしました
猫にエサをあげるのは私でした
ある日父に猫が見つかりました
猫を捨てました
悲しいです(奇跡的に書くかもしれません♪)
わが社の自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャは、ある日こんな↓ことを言っていました。

これ↑本当だと思います。理解できない文字(心理描写や思想)を読み続けるのはシンドイでしょう!
自分ちのエアコンや電気釜などの生活用品の取説は読むでしょうけれど、絶対に読まないのは小説と歴史(小説)。
読んだふりをするのは難しげな本で、そこに書かれている難解な言葉をメモする習慣をもっているようです。社内回覧をまわすときのために貯めているようです。
自己愛ハンニャは、敬語・丁寧語に凝っているようで、一番シビレル日本語は↓(いつぞやの社内回覧に載っていたものです♪)
社長が下された お弁当を 頂戴して 下さい。
(天皇に使う敬語+モノに「お」+謙譲語+命令語←文法的に間違っているのですが、それよりも大袈裟すぎて人がビックリするだけのシロモノなのです♪)
社長からの差し入れ弁当をお召し上がり下さい。で良いと思いますが。。
自己愛性人格障害者は自分が特別有能だと思っていますので、人様に聞くとか調べるとかしませんので難しそう・尊敬されそう!教養ありげに見える!というふうな言葉を見つけたら使い方を学ぶ事なくストックしておくだけなのです。
さて、耳で自己愛性人格障害者のニセモノ度を見破るわけですが、まずは、自己愛性人格障害者の言葉?意見?には具体性がないということから検証してみると良いと思います。
自己愛性人格障害者の「曖昧ことば」は「良い人アピール」の上にのっかっている
≪わが社の自己愛ハンニャの場合―役員会議で≫

う~む何言ってるかサッパリ分からん!
しかも、ルー大柴なみの※英語を使うのです♪
※英語 海外の社員の接待をするターゲット(私)が外大出身ということが関係しているのかもしれません。(I あむ え~と、あっstudent.のレベルでも誰も責めないのにね♪わたしが参加できない役員会議では「愚民のお前らは分からんやろ!」みたいな雰囲気で英語を使うらしい。。)
しかし地頭の良いウテバヒビキ君には分かってしまうのです♪

ああ!ムーミンさんが※美味しい営業先を選んで僕らだけに回してるという意味?
※美味しい営業先を選んで=私がコツコツ開拓していて「もうすぐ決りそう!という営業先」をたくさん持っているのを自己愛ハンニャが知っていて、それら営業先を育成の一環で後輩のウテバヒビキ君達に紹介していたこと。
ボーっとしている人には自己愛ハンニャが何言っているのかも、自己愛ハンニャがターゲットのわたしを非難しているという事も全く分かりません。
自己愛ハンニャは、本来はこう↓言わねばなりません。



上記①②③は、私への批判+嫉妬+ウテバヒビキ君達への非難ですが、それら3つをフィルターかけてるという一言で表すことがでるのです(ここらへんは天才や♪)。同時に、人を非難していることが分からないような表現だから自分の「良い人イメージ」が崩れません。(すげーわ♪)
≪わが社の自己愛ハンニャの場合―ターゲットの私に≫
ある日社長婦人が来社したとき自己愛ハンニャが光臨してきたらしいのですが、「自己愛ハンニャさん会社をよろしくお願いしときますね。」と言ったらしく(あちゃ~そんなん言うたらアカンがな?)、その場所が社長秘書室だったため、自己愛ハンニャの頭の中では恐ろしいことが起きたのです。

という妄想が生じたようでした♪
そして、わたしが営業先から帰ってくると、自己愛ハンニャがわたしの席に座っていて、こう↓言いました。



それはムーミンさんの意見でしょ?を翻訳しますね。
↓

どうですか?
自己愛性人格障害者の言葉の行間を読んでみました!