遺言として残しておきたい自己愛性人格障害者のこと
(2年前とは書いていることが少し違うかもしれません。)
前回、自己愛性人格障害者について、
言い訳に使う日本語があり得ないレベル
と書きましたが、それで考えていたことは、
見抜く目をもつこと・逃げる方法を知っていることに尽きる!と。。。
終活っていうんですか?
自分は子どもや孫より先にしぬのだから、子ども達に残しておきたいことは何か、と考えたときに、
↓
親がお金など残しても仕方がない(自分で稼げ!)。お金はあればラッキー!
↓
どんな状況でも人生を楽しめる力をもっているか?
(息子達がまだ持っていなければ、自分の知っている事を全力で教える)
↓
人格障害者から身を守る方法を知っているか?
というふうな事を考えていた訳です。
・人格の無い声
・人格を感じさせない声
・感情から出ていない声
・演技して棒読みの声
というものがあります。
わたしは、自己愛性人格障害者と関わった時間と回数(人数)が多いため、また、自己愛性人格障害者から述べ10年間以上執拗にターゲットにされたためでしょうか、自己愛性人格障害等の障害者の、ロボットが発するような日本語に似た機械音を聞き分けられると自負?しています♪
一言で言うと、自己愛性人格障害者が話す日本語には感情が入っていないのです。ですから自己愛性人格障害者には存在感を感じません。オーラと言うかもしれません。今や、わが社の自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャが、そこにポツンと捨て置かれた乳児にしか見えません。
そして、その乳児が(自己愛ハンニャが)話す内容は、難解な日本語が使われているのですが、「このタイミングではこの言葉を使うらしい」「難解な言葉を使えば尊敬される」という発想で自分だけで学習したものですから、よ~く聞くと意味不明で大袈裟すぎたりします。
ちょうど、大人が話すのを聞いて言葉を覚えた幼児が、その意味を知らずに使っているのと同じです。
自己愛性人格障害者は「言葉の意味が分からない。」のと「感情をもっていないため感情表現ができないので、感じている演技をする。」のですが、言葉を使う目的が「勝つ」ためですから、常時、以下のような人間関係になってしまいます。
例えば、夫婦関係なら、
① 今日シンドイから夕飯作りはパスさせて~
② 今の言い方、なんか、腹立つわあ~
↑
これが言えないのです。
① 疲れすぎて夕飯を作ってられないのに、「なんで私なの?こんな時くらい『店屋物でいいよ』って言ってよ!」と思っているのに、それをそのまま言うことができません。
なぜか?
「特別有能な何でもできる自分」のイメージを壊せないからです。なぜ壊せないか?
このイメージを壊せば生きていけないからです。
このイメージは、何としてでも、何よりも優先させて守らなければならないのです。でなければ「負け」たことになってしまうからです。
ヘロヘロで入院一歩手前であっても、自己愛性人格障害者は「できない」とは言いません。
ですから、疲れすぎて本当はよこになって休まねばならない時でも、台所から離れようとしません。
必然的にボーッとしたまま台所に立つことになりますから夫が「どうしたんだ?」と言います。
そして不機嫌な顔のままで台所でグズグズし続けますが夕飯を作ろうとしません。
夫はさらに「どうかしたのか?」と言いますが、やはり妻は「何でもない」と言いつつも疲れすぎて早く横になりたい!と思いながら、台所から出られません。
理由を聞いても「何でもない」と言うにも関わらず、ただただボーッとして台所に居続けるだけで夕飯を作ろうとはしない妻を見て、夫は気を使うだけで訳が分からず、ですが確実に神経は磨耗していきます。(この点、境界性人格障害の妻は、暴言のレベルで「できない」事をちゃんと言うことができます。)
さて、この妻には何が起きているのでしょうか?
そうです。妻は「できない」という事が言えない自己愛性人格障害者だったのです。
自己愛性人格障害者の妻の言い分はこう↓です。

とにかく、自己愛性人格障害者は、「できない」と、絶対に言いません。
それを言ってしまっては「負け」たことになりますから、自尊心は低いのに虚栄心が強い自己愛性人格障害者は、「できない」を言えないのです。
自己愛性人格障害者にとって「負け」は生存を根底から揺るがすほどのものですから、どんな事があっても―夫子ども親きょうだいなどの家族が犠牲になろうとも、絶対に言いません。
上記の場合、妻には夫が「お願いだから夕飯は作らないで」などと言わなければなりません。
つまり、自己愛性人格障害者の妻は、相手が自分にひれ伏してお願いしてきたから「仕方がないからあなたの意見を取り入れてあげたのよ!」というふうに持っていって「上」の立場になった上で「夕飯作りを逃れたい」訳です。
一言「今日は疲れすぎて夕飯作り出来ないわ」と言えば済むものを、台所でグズグズしていたり、シンドそうにするだけなのですから、夫には訳が分かりません。
「もしや?心の病気か?」と思う夫もいるかもしれませんが、妻が次の日からは全くいつも通りに戻っているため、「???あれは何だったんだ?」とやり過ごすしかありません。
(ふくれる女はだいたいこのパターンです♪・・言わんと分からんやろ!?知るか!!)
コレ、心理専門家が「自他の境界が無い」と言っていることですが、
・自分が感じていることは相手も感じているはずだ
・自分が思っていることは相手も思っているはずだ
という幼稚性の証明です。
そこにプラス、「そこまで自分にお願いしてくるのだから、仕方がないから認めてやろう」という形にもっていって、自分の欲望を満たそうとするのですから、自己愛性人格障害者の態度は自然と傲慢になります。
台所でボーッとしている妻は、夫が自分にお願いして来ないと、次はこう↓言います。

アタシ。。。みんなのためを思って毎日頑張っているけど、あなたからも子ども達からも感謝されてるのかしら?もうわかんな~い
シクシクシ~
(鳴いているのは全くの演技です♪人を操作するために鳴くのです!そして鳴いていながら傲慢なのです。)

(ここで、夫は「今日は僕の用事で動いてくれたから疲れたんだね。少し休んだ方が良いよ、夕飯は僕達が作るから。」と言わねばなりません。)
つまり、自己愛性人格障害者の妻は、しんみり泣くことで夫の罪悪感を引き出し、なおかつ夫から「賞賛の声」を引き出すことで欲望を満たそうとするのです。それが自己愛性人格障害者にとって「勝つ」ことになるのです。
自己愛性人格障害者の妻は、夫相手に恋人相手に息子娘相手に家族相手に、いつでもどこでも「勝つ」ためだけの言動しかしないのです。
この段階で、夫が気付かずに妻に「賞賛の声」をかけなければ妻は、奥底で静かだけれども「ものすごい怒り」を爆発させています。夫に○つ意すら抱いています。
(あ~めんどくせ!)
え~、それでですね、わたしは、昔から言われている「喧嘩するほど仲が良い」というのは正解だと思っています。
生々しい感情をお互いにぶつけ合うこともできる
という、親子、夫婦、きょうだい、友人、同僚、先輩後輩の関係が無ければホンモノではない!お互いにホンモノの人間ではない!というふうに思います。(一方的にぶつけるのはモラハラでしょう。)
② 今の言い方、なんか、腹立つわあ~
自己愛性人格障害者は、こんな人間的なことは言いません。
「良い人」「立派な人」「人格者」を演じなければならないので、無意識層では生々しい怒りもっていてもそれを言葉で表すことができません。「怒りをあらわにしている状態・ニコニコ顔以外の顔は、無能なレベルが低い行為だ」と思っていますから、「腹たつ・頭にくる」と言うなどは「負け」になるからなのでしょう。
自己愛性人格障害者は、「仄めかし」か「非言語コミュニケ―ション」で間接的に怒りをぶつけてくるのですよね。
「察しろよ!みたいな含んだ言い方」と「ドアを激しく閉めたり等の態度」みたいな、男が一番理解不能な例の女のアレですね。
まあ、自己愛性人格障害の症状自体が女性的なのですが。。。
(根っこをはるのです♪)
≪ホンモノの人間≫
ニコニコし過ぎていない
ありのままの姿を出している
わたしなどは、一時期「無愛想で悪かったな!」「きらわれてなんぼのもんじゃい」などと思っていたりしましたが、精神衛生はとても良かったと思っています。親友と呼べる人なんて、メチャクチャ頑張っても頑張らなくても1人くらいしかできないのですし、女の場合は、親友を持っていたら奇跡でしょう。「これが私だ」意識が強すぎた感もありますが、若気の至りで済まそうと思っています♪
人間生まれてくる時もしぬ時も一人ですから、そこに家族を持てて親友までもてたなら、こんなにありがたい事はありません。
自分の終活の話に戻ります。
・人格の無い声
・人格を感じさせない声
・感情から出ていない声
・演技して棒読みの声
のような「声」というのは確実にありますから、聞き分けられる耳を持っているかどうかで、自己愛性人格障害者を見抜けると思うのです。(息子たちよ、耳を鍛えよ♪)
そして、「逃げるのじゃ!」