自分が嫌いになる原因
今回ちょっぴりプロフィールっぽい記事です。
わが社に自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャという役付きが居ますが、「わたしの知る限りの情報」からその生い立ちを想像してみます。
「わたしの知る限りの情報」というのは、自己愛ハンニャの娘・アンポンタン子がわが社に入社してきて(自己愛ハンニャが職権乱用して気付いたら入社していた!という社員です♪)その母娘関係を見ていて、想像といえども現実に違いない!と思わせるようなものです。
アンポンタン子↓



こういう事が続いて。。。

こんな事はどこの家にもありそうな事かもしれません。
我が家も、わたしが3姉妹の真ん中で一番出来が悪く(親の言うことを聞かない)、姉と妹は親の望むコースを進み、親はいつも世間に姉と妹の自慢をしていました。当然に?わたしはひがんだ性格をしているかもしれません。
家庭の中では姉や妹と比較されて、わたしはいつも父から「お前はワシに逆らう」「親の言うことを聞けないお前はごく潰しだ」という意味の言葉ばかりを投げつけられ、心の中は父親に対する怒りで一杯だったと思います。
わたしは小学生のころは、担任の先生が良かったのでしょうか?いつも先生にほめてもらえてある種の自信に満ち溢れていて、生徒会の役員に立候補したり、クラスでは投票によって毎回学級委員長になれること、オール5だったこと等々から、明るく元気な女の子でした。
ところが、中学生になって「自分より勉強のできる人が居たこと」「先生にほめてもらえなくなったこと」で、「父から罵倒されること」でダイレクトに攻撃?を受けて被害・傷を受けることになってしまい、子どもが持っている「みずみずしさ」「元気さ」「好奇心」等々を喪失していきます。
わたしは、「楽しい」と感じる事が(ほとんど)無くなり、成績も落ちていき、運動クラブも途中でやめ、家に帰りたくないため「学校で補習があるから」と嘘をついて友達と遊んでいました。
また、カバンには私服を入れて「行ってきます」と言って、ジャニーズ系(フォーリーブスとその前座が郷ひろみの時です♪)のコンサートに行ったりするときもありました。(当時は不良扱いです♪)


姉のように全力投球で勉強して○大なら認めるが、ワシに逆らって勉強に全力投球せんヤツはワシは知らん。
コレ↑中学校3年間+高校3年間言われ続けたのですが、全く勉強する気になれませんでしたし、しませんでした。
姉はいわゆる「良い子」でしたので父の言いなりに人生を生きていて、クラブ活動もせず、友人とも遊ばず、ただただ勉強ばかりしていました。
妹は頭が良いのか?要領がよくて、自分がそう思っていなくても父に「分かった」と言える子どもで、父を怒らせることはありませんでした。

今思うと、父の学歴コンプレックスを解消させられる希望の星がわたしだったようで、「オール5」の成績をとる子どもに自分の夢を託すようになったのでしょう。
娘が自分の思い通りにならない歯がゆさは「怒り」となって「罵倒」という形であらわれたと思います。父親に否定され続けた子ども時代を送ったわたしは、やはり「自己肯定感」が低いと思います。
それで。。
人は、一瞬一瞬、偶然か必然か?紙一重的な人生の選択をしながら生きていきますが、わたしは、父に罵倒されている間、いつも「力を付けてから家を出て行く!大学まで行く!独り立ちできる力を付けるまでこの家で我慢するぞ!」と思って父の暴言を聞いていました。
ですが、4回生になっていよいよ我慢も限界となり、履修すべき単位もたくさん残っていたこと、学費を支払うために夜の仕事につくのは無理!と思っていたことから、「家を出て働こう!」と思い「退学届」を出してしまいます。(今思えば他に方法はあったのですけれどね)
姉のように父が納得できるような勉強をしていれば、罵倒されることも家を出ることもなかったのですが、あのまま家に居れば精神が崩壊し病院に入院するような状態になっていたか、オドオドびくびくした「ダメな自分」がますます育っていってコンプレックスが巨大化し、ある時から空想の世界に生きるようになる自己愛性人格障害者になっていたかもしれません。
とにかく、紙一重だったと思います。
わたしは大学2回生まで、大阪のとってもDeepな場所に住んでいて、すぐ隣の校区が難波中学校という地域で、中学生でありながら「さつじん」以外の「アンパン」「ヤク」「モンモウ」「臨月」「窃盗」「殴りこみ」等々に関係がある生徒がかなり居たような環境に居ました。
「殴りこみ」だけは面白いと思って、授業をサボって見に行ったことがあります。
一緒にサボった生徒は、足首まである丈のスカートをはき、髪を染め、タバコや○ンナーを吸い、夜遊びをし(不純異性交遊)、外泊常習犯で、学校にきていたけれど勉強などすることもなく、教科書はもっていませんでした。
「力を付けてから家を出て行く!大学まで行く!独り立ちできる力を付けるまでこの家で我慢するぞ!」と決めていた私は、中三の冬、担任教師から「このままでは行く高校が無い」と言われ、受験までの2~3ヶ月間狂ったように勉強します。(勉強ができるヤンキーです♪)
今の中学校(学習指導要綱)と違って「内申書はほんのオマケで当日のテスト一発で全てが決る」というシステムでしたので、わたしは担任教師に「落ちたら私学へ行きますから、そこを受けます」と言って一か八かでその高校を受け、合格します。
自分の奥底にあったのは「力を付けたら家を出る!」でしたので、勉強に頑張れたのだと思います。
さて、「ダメな自分」の烙印を押されて、コンプレックスが巨大化し、精神の崩壊寸前に「空想の世界に生きるようになる自己愛性人格障害者」と自分との差は「運不運」では片付けられない「何か大きな力」が働いたか働かなかったかだと思います。それは、親からもらった「根っこ」だったと思っています。
人が根底にもっている「怒り」を一切出すことなく、また隠し通し、「自慢話」「哀れっぽい声」「ニコニコ顔」「人格攻撃」に変化させるのが自己愛性人格障害者なのでしょう。
生まれてこのかた、乳幼児のころからずう~ッと溜め込んできた「恨み」は、とてつもなく大きく、自己愛性人格障害者がどんな声を出してもどんな動きをしても、そこには「怒り」「恨み」が載っています。込められています。
自己愛性人格障害者は心自体が「怒り」だから、本当はこんな↓顔のはずです。

「大丈夫?」にも怒りが込められ、
「あなたのためを思って言ってるの。。」にも怒りが込められ、
「そんなつもりで言ったんじゃない。」にも怒りが込められ、
「私ならできたのに」にも怒りが込められ、
「そんな事もできないのぉ?」にも怒りが込められているのです。
逆に、自己愛性人格障害者は感情は、「怒り」しかもっていないから、何を言っても何をしても「怒り」という毒素を撒き散らして人を傷つけてしまうのです。人は、その「怒り」をニュアンス・無意識で感じ取ってしまうのでしょう。モラハラを受けている訳です。
ですから、自己愛性人格障害者からモラハラを受けていることすら気付かなかったして、時間が経ってきて「うつ病」等の精神疾患になってしまったり、気付いたらお金を吸い取られていたり、大切な人間関係まで破壊されていたりするのです。
自己愛性人格障害者の「一言一句」「一挙手一投足」が全て「怒り」の表現だから、自己愛性人格障害者の顔・姿を見るだけでも、自己愛性人格障害者の声を聞くだけでも人は傷つくと思うのです。
自己愛性人格障害者の声は、ソフトな物言いをされようが、丁寧にしゃべってこられようが、きっと、釘でガラスを引っかいた音に匹敵するような不快な声でしょう。
自己愛性人格障害者がそばに居たなら、わたし達は、自己愛性人格障害者から(無意識に)不快音を聞かされている状況に居る、と考えましょう。(耳栓ほしいけれど、ここは離れる・遠ざけるしかないby元FBI捜査官ジョー・ナバロ↓)