前回↓
自己愛性人格障害者は人間か?
(画像の額のHは、ハチュウ類の頭文字で~す♪)
パンッ!(と、管理人が手を叩いた音です♪)
目を醒ましてェーーーッという気持ちで叩きました。
まだまだ自己愛性人格障害者の真の姿を理解していない人がいる故にやってしまいました。
(狼藉をお許しください♪)
自己愛性人格障害者がメス(この表現しかありません)の場合、
・ニコニコ顔
・ソフトな物言い
・しんみり真顔の涙声
・かいがいしくお茶を入れる姿
・病人等をかいがいしく世話する姿
等々の外見にマインドコントロールされる人(男女とも)があとを絶ちません。
わが社の頭脳明晰な社長ですら、しばらくの間、自己愛性人格障害者・自己愛ハンニャの演技を見抜けず、私が事例・事実をあげて自己愛性人格障害者の異常性を訴えても、


というふうな感じでした。(その時の私は絶望感しかありませんでしたね。。)
眉目秀麗・頭脳明晰な社長ですらそういう状態でしたから、私たち凡人の普通の人間では自己愛性人格障害者の演技を見抜くのは大変難しいようです。
この6年間、自己愛ハンニャは私への攻撃以外でも、社内で様々な人間業ではない所業を繰り返しています。
にも関わらず、いまだに、


などと言うウツケ者の役員が大勢いるのです。
ウツケ者役員たちは、自己愛ハンニャを我が強いメンドクサイ奴とは思っているものの、自己愛ハンニャが役員たちの中で一番PCに詳しく、口達者な自己愛ハンニャを「物知り」と認識しているようで、私としては役員たちの出来損ない感を否めません。
自己愛ハンニャが、

と言うのを聞いたわが社のウツケ役員達は、「自己愛ハンニャさんて教養がある」「難しい言葉を知っている」などと思ってしまうのです。(お前ら障○者か?)
他の普通の健常者社員達もウツケ者同様、自己愛性人格障害者を我の強い困ったチャン・メンドクサイ奴・自己中くらいにしか思っていないようです。
わが社の自己愛性人格障害者・自己愛ハンニャが、得意先の葬儀会場の席で、自分より格下認定していた自社の役員の一人(ノーカンメ)が自分より上席に座ったのを見て、


シーンとした葬式会場でみんなに聞こえる声で、通常の人間世界ではあり得ない言動をした自己愛ハンニャでしたが、そこに居た人達は「???(気のせいかな???)」という状態でした。
通常の人間ではあり得ない発言に、人は固まって棒立ちし脳みそが真っ白になり、「狐につままれた状態」になってしまうのです。日本昔話の主人公になってしまうのです。
ノーカンメ↓
また、自己愛ハンニャの事を、違和感を感じる・むかつく・自分勝手・傲慢等々と非難している人たちも、自己愛性人格障害者の本質を理解していません。
何故なら、
彼らは全うな人間だから(きちんと大人・社会人に育っているから)罪悪感と反省心を持っています。そして、自己愛性人格障害者にその罪悪感をゆすぶられ自己反省してしまうからです。

あなたは一から常識を勉強し直さないとね(ニコニコ~)

すみませんでした。。。
因みに、この場合の自己愛性人格障害者に対する正しい対応は、↓

自己愛性人格障害者に罪悪感を利用されて反省した人は、上記のようなことがあってもその後、自己愛性人格障害者と普通に接してしまいます。この人は、自分が確実に傷ついている事に気付いていないのですが。。。
何度も自己愛性人格障害者から人格否定されたり業績を横取りされたりして傷つけられてきていても、自分が傷ついているとは気付かずにエサ(召使)になってしまっている人は「私がいけなかった」「私の勘違いだった」等々すぐに罪悪感を持ったり反省したりする人のようです。
また、「自己愛性人格障害者に違和感を持っている」と言う人でも、自己愛性人格障害者の、曖昧で聞き様によってはまともに聞こえる発言に「このままじゃ子どもみたい・大人げなかった」等と咄嗟に反省してしまうのですよね♪(いわば大人の対応)。
そういう人は、家に帰ってから、自己愛性人格障害者に言われた↓

という言葉を思い出し、同時に理由は分からないけれどとてつもない気分の悪さも噴出してくるのですが、
・「あなたでも良い」と言うなんて傲慢の極みだわ。
・その前に自画自賛してるし。。その上で人を蔑んでいるじゃない!
・いやいや自己愛さんは私をかばってくれているんだわ。。
・(あ~でも気分が晴れない。。)
というふうな感情の流れがあって、最後は悶々としながらも、大半の人は自己愛性人格障害者に抗議するわけでもなく遣り過ごしてしまうようです。
この場合、自分の怒りを押し込めたことになります。
その怒りは蓄積してきてやがてその人の精神を蝕んでいくのです。怒りが溜まりすぎるとうつ病になるとも言われていますが。。。
○ンピラ並みに切れることができる人や元から頭のおかしい人なら、自己愛性人格障害者にでも容易く怒りを吐き出すことができると思いますが、通常は、言われっぱなしの方が多いように思います。
しかし人間力を付けていくなら(まず知識です♪)、
・何事もなかったかのように振舞える。
・戯言じゃと一掃できる。
・雑音に聞こえる。
・みじめな人の遠吠えに聞こえ哀れみの目を向けることができる。
等々の対応ができていきます。それまでは「近づかない・縁を結ばない・無関心を装う」事に徹しましょう。
ところで、「世界は私のためにある」と思っている自己愛性人格障害者は、エサ場である会社や組織に所属している私たち(や役職や物品までも)をエサ認定し、全部自分のものと思っていますので、私たち全員が自己愛性人格障害者のターゲットです。
ただ、大人しく罠にかかってくれるエサなのかそうでないのかで、自己愛性人格障害者からの攻撃方法が違ってくるだけなのです。
人型ハチュウ類―自己愛性人格障害者は人類ではないという認識
わが社の自己愛性人格障害者・自己愛ハンニャを観察していて、私はもはや、自己愛性人格障害者は言語を習得しているハチュウ類だ、との認識しか持てません。
もし、「私は自己愛性人格障害者です」「私は自己愛性人格障害者でした」と言う人が居たなら、その人達は、自己愛性人格障害者ではない(なかった)と思います。
ホンモノの自己愛性人格障害者は前頭葉機能不全であり人間としての人格を持っていないのですから、自身を省みたり客観的に見たりできません。そのような人類だけが持っている機能が欠損しているのですから、欠損しているものは生えてこないのですから、「気付き」はないはずです。
医者から「自己愛性人格障害者だと診断され」て「周囲に酷いことをしてきて申し訳なかった」と言う人が居ますが、果たしてその医者の診断は正しかったのかとの疑問を抱きます。
世の中には、多少は自己愛性人格障害的な性格を持った人もいるでしょう。
わがまま・困ったちゃんなどウジャウジャいますが、それらの人達は私たちが想像できる言葉使いをします(アホ・ボケ・カス的な直接的な言葉使いで、泣き落とし作戦やら恫喝作戦やら、ヒステリー女的か○ンピラ男な言動のような)。
ヒステリー女も○ンピラ男も、自己愛性人格障害者とは全く別ものです。
自己愛性人格障害者には新しい分類が必要なのです。
心理学・脳科学の世界ではきちんと分類されていますが、そういう分類ではなく、常識・社会通念としての分類です。
人類はホニュウ類の一番の進化系で男性と女性がいる、というような。。
私は自己愛性人格障害者を人型ハチュウ類だと断定しています。
クモの巣を張ってエサを捕獲しジワジワと息の根をとめる手法はクモ類に匹敵するとも思います。
ニコニコ顔・ソフトな物言い・しんみり真顔の涙声・かいがいしくお茶を入れる姿・病人等をかいがいしく世話する姿をしていて、一番でなければ命の危機を感じ、自分聖人説・エサ極悪人説を布教するイキモノが自己愛性人格障害者なのです。
最初から自己愛性人格障害者からエサ認定された私たちは、まず、自己愛性人格障害者の発言で思考が乱されます。
自己愛性人格障害者の、曖昧で遠まわしでほめ殺し的な節回しによって、私たちの劣等感・罪悪感・不安を引き出されます。
劣等感・罪悪感・不安ですよ!?
これはうつ状態にある人の感情ではありませんか?
劣等感・罪悪感・不安なんて。。。私たちがこのような感情を持っている時は不幸の真っ只中ですよね。
自己愛性人格障害者がそばに居るだけで恐怖・緊張・不快・を感じる人も居るでしょう。
また、自己愛性人格障害者の発言によって劣等感を抱かされ、罪悪感や空虚感まで持たされるのですから、人は精神疾患になってしまうのです。
自己愛性人格障害者の居る組織で、人がどんな感情を持って生きているのかを書きました↓
自己愛性人格障害者を兵糧攻めにせよ
自己愛性人格障害者は常時、人の奥底にある、劣等感・罪悪感・不安等々負の感情をいとも容易く引き出してしまいます。
まるで催眠術師のようです。魔法使いです。
自己愛性人格障害者は、人の劣等感・罪悪感・不安等々の負の感情がエネルギー源なのです。