攻撃性-自己愛よ、凶器を振り回すんじゃねえよ! | 自己愛性人格障害者との闘いの日々
 

攻撃性-自己愛よ、凶器を振り回すんじゃねえよ!

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自己愛性人格障害者のタゲ子
管理人

モラルハラスメント仕掛け人の正体は自己愛性人格障害者です!

プロフィール

 

サイコパシーの憤怒は自分を生んだ母親に対するものらしい

元FBI捜査官ジョー・ナバロ氏曰く、

元FBI捜査官
FBI
ナルシシスト的な性格の持ち主からの攻撃を防ぐには、物理的距離をおくしかないのです。


と。。

彼によると、危険人物が4種類居て、
① プレデター(捕食者)→サイコパス(だと思う)
② ナルシシスト的な性質を持っている→自己愛性人格障害者(だと思う)
③ パラノイア的な性質を持っている→統失・躁鬱(だと思う)
④ 情緒不安定→メンヘラ(だと思う)

以上の4種類ですが、③統失・躁鬱と④メンヘラは「目で見て危険だと分かる」と思います。
通常、発作と言うのでしょうか、それが出ていない時はしゃべらなければ普通の人に見えます。

③統失・躁鬱は病気ですから、薬物治療で寛解していくようです。
ですが、この病の深きこと深海の如しで、家族はまさに生き地獄を経験します。

④メンヘラはボーダー(境界性人格障害)と言うようですが、傍で見ていて、治るように思えない私です。
障害は病気ではありませんので、治る、という考え方はしないようですが、本人が自覚した限りにおいては障害が軽くなっていくそうです。
妻がボーダーの場合、その夫は生傷が絶えず精神崩壊寸前のところまで追い詰められます。
ボーダーは悪質な認知症(暴言暴力の)に似ていると思います。

常時、こんな顔をした我が社の役付・ニコニコ仮面がボーダーだと思っていますが、しゃべらなければ本来持っている良家子女の上品さと生まれ付いての美人顔で人を魅了していると感じます。

ですが。。。

その夫・故ウームマンダム氏(営業部長だった)を、社内の部長室ではあるけれども、ゾンビのような声で暴言を吐きながら、そこにあった傘でウームマンダム氏をシバキ上げ骨折させるくらい暴れていたのを私は目撃しています。

ボーダーの無意識下にも「親(特に母親)に対する憎悪」が根を張っていて、一番近い人にそれを向けてしまう、と言われています。

恋人や配偶者が身代わりなのです。
(ターゲットが一人、というところが自己愛性人格障害者と共通するところですが、自己愛は必ずしも恋人や配偶者をターゲットにしている訳ではないと感じます。)

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私は本物の①サイコパスと出遭ったことが無いように思います。
サイコパスは、「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」の主人公・サイコパスのレクター博士のような、紳士然とした、教養もあり、知能指数の高さゆえか、自己愛性人格障害者のようなサイコパシーと違って「共感」することができ(ているように振舞え)ると言います。
「共感」できないわが社の自己愛ハンニャやノーカンメなどのサイコパシーと違って、「共感」出来ているように見せることが出来て教養があって、優しげなもの言いの紳士・淑女が目の前にいたら、まさか、猟奇的なさつじんも顔色ひとつ変えずにやってのけてしまう危険なサイコパスだと気が付かないだろうと思います。

やっぱり人間力と言うか、洞察力と言うか、シックスセンスで感じると言うか、そういう目に見えない力を磨き持ち、サイコパスをサイコパスだと見抜くなど、誰にでも出来る事ではないと感じます。

その点、相手が自己愛性人格障害者なら、違和感を感じますし(感じないと奴隷にされてしまうのよねえ。その方が楽っちゃあ楽なんだけど。。)、一度ターゲットにされた事がある経験者なら、まるで「対自己愛センサー付き眼鏡」をかけているかの如く、まさに、自分の中にあるセンサーが鳴り響くと思います、地震時の緊急メール音のように!

それで言いたい事は、
自己愛性人格障害者などのサイコパシーは、自分をこんなに惨めにした母親=周囲・環境に尋常ではない憎悪を抱くようになった。。。という説は正しいと感じるという事です。

何万人に一人か、何千人に一人か、(一説によると、人口の1%乃至数%居るらしい)、クラスに一人か、会社に一人かがサイコパシーらしいですが、その無意識下には「惨めな自分」を感じていると言います。

そして、新生児・乳幼児期の周囲・環境が何かと言えば、他ならぬ「母親」な訳です。
この母親に一度たりとも認めてもらった事が無い(この程度ならママあるように思います。ここではそんなレベルではなく、何時間泣き叫ぼうがオシメは代えてくれない、どれだけ笑おうが母親は喜んでくれない、というふうなモノ扱いをされてきた)、あるいは、常に否定され続けてきた(モラルハラスメント並みの)、という過酷過ぎる時間を過ごしている間に自己愛性人格障害者は、いつしか空想の中で「認められる自分・凄い自分」を作り上げる事で、その辛い人生を凌いできたのでしょう。

そうしているうちに、「惨めさを感じたら」偶然と言うのでしょうか、ホメオスタシス機能と言うのでしょうか、

・異次元の空想世界にポーンとテレポートして「優秀な自分を作り出し」、
・また、脳が尋常ではない働きをするようになって「現実の惨めな自分」と「空想世界の凄い自分」との区別が付かなくなってしまった、
・さらに、無意識下にある「自分をこんなに惨めにした周囲(母親)」に対する憎悪は消えることが無かった

と推察します。

だから、自己愛性人格障害者は、常時怒りに満ち満ちているのだと思います。(目はケモノの目ですわ。マンガのようなカキ色っぽい炎すら見える。。)
それは、不正に対して憤るというふうな人間的な怒りではなく、「憎悪」と言う他ありません。


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言葉がブキ

「憎悪から出来ている悩ミソを持った、たんぱく質と脂肪の塊」であるイキモノが行動するとどうなるのか、人間界に何が起きるのか、火を見るよりも明らかです。

サバンナの動物のブキは「牙・爪・毒」です。
さて、人間のそれは何でしょう?

人間は原爆・水爆等の恐ろしいものを生み出し所持していますが、ここでは一般社会での人の日常で考えます。
「拳、刀、包丁、バール、金属バット、青酸系薬物等々」の目に見える分かりやすい、武器に成り得るモノも除外します。

そうすると、「ハメル」というのが、法にひっかからずに見事に人を傷つける事ができるモノだと思います。

また、「ハメル」「裏切る」「いじめる」には行動の前に口を動かす事でしょうけれど、行動は目に見えてしまうため、やはり口を動かす(言葉を駆使する)のがメインでしょう。

「悪口を言いふらす」のは(人を傷付けてくる奴には)一番簡単で安全な傷付け方ですから、人は、口を悪口のためにどれ程の時間を使っていることでしょう!

私達は、感情と言葉がだいたい一致していると思います。
また、その表情と言葉がだいたい一致しているとも。

「だいたい」と表現したのは、自分自身、仕事などで「愛想笑い・お世辞」を使う事があるからです。
家族や親友や恋人には、言動一致で接し、感情と言葉も一致しています。
言葉が感情を表現しきれない時が多々ありますが、そんな時は「非言語コミュニケーション」と言うそうですが、お互いのシックスセンス?オーラ?で通信と言うか理解し合うと思います。

ここで、感情を持っていない自己愛性人格障害者の言葉の使い方をおさらいします。
彼・彼女等は「このシーンの場合、この言葉を使う。また、こういう行動をするのだ。」と、学習しているだけですので、こんな事になってしまいます。↓

発達障害
ノーカンメ
(ご遺体になってから初めて会った人に、よろめきながら

ああ~ご遺体さあ~ん、シクシクシ~、#$ж☆%~、(さらによろめきながら)ああ~シクシクシ~


で、葬儀会場を出た瞬間に、

発達障害
ノーカンメ
ああ、疲れたわ、股座膏薬さん(ノーカンメより下の役職だが役員の)!飲み物持ってきてちょうだい(命令口調です)。

まだ親族や他の社員も居るというのに、コレなのです。

まさに「葬式会場では鳴く。その時は、よろめきながら涙を流す」という自分で作った取説通りに行動するのでした。(ノーカンメがよろめいた時は大笑いしそうになって困った私♪)

感情が沸いてこないから・人の感情を持っていないから、そうするしか社会で生きてこれなかったのでしょう。

私などはその時は「義理」で参列しただけで、笑いこそしませんでしたが、初対面のおっさん(失礼、取引先の○クザのような社長だと噂があった)が亡くなっていても悲しいことなどないし、証明写真を撮るときや一人で電車に乗っている時のような顔をしていたと思います。

(以下にサイコパシーの「顔の秘密」を書いています。)

自己愛性人格障害者はヤッパリ同じ症状をもっている!感動!―顔の秘密
自己愛性人格障害者は口角を上げることしかできない―まるで笑い顔のように見える 現実世界に放り出された未熟児は、巨大なコンプレックスを抱えて恐怖におののいています。 未熟児 (わたしは醜い。。。ダメなヤツなんだ。。) 未熟児 (怖いよう。。寂しいよう。。。こうなったのも周囲のせい...

さて、「よろめきながら鳴いてみせ」、次の瞬間に「格下に命令口調で飲み物を持って来させた」ノーカンメは、格上の人物の前では大人しい猫のような存在です。「えっ!ずっと居たの?」みたいな感じで存在感ゼロです。

彼女は、自分より(勝手に格下だと思って)股座膏薬には平気で命令口調の言葉遣いをしますが、股座膏薬は、私やノーカンメより古株であり、一応先輩社員なのです。

ですが、ノーカンメは自分が社長付きの運転手をしていることから、「自分偉い」と思っているようで、先輩の股座膏薬をいつもアゴで使います。
その度に股座膏薬は傷つくようです。やはり言葉がブキになっている、という事だと思います。(口縫うぞ!)

ノーカンメは、私が勝手に「境界知能のサイコパシー」と思っているのですが、「憎悪から出来ている悩ミソを持った、たんぱく質と脂肪の塊」である自己愛性人格障害者の自己愛ハンニャはノーカンメと違ってまさに、生き延びるために(特にターゲットをハメルために)、生活本能活動として不特定多数に向かって口を駆使し続けるのです。

根回しによる、人は全員悪人説の流布
(人が見ていないところでですからね~)

という事をする訳です。
(人が見ているところでも自然に「人格否定」してきますが。)

生き延びるためには、つまり「自分は凄い人物・自分は優秀な能力を人物」であり続けなければならないため、「良い人アピール」「自慢話」「言い訳」に言葉を遣って自分を引き上げようし、だがしかし引き上げられないため(周囲に本当に優れた人物が大勢いるため)、優れた人物をハメル・貶める事で自分が引き上げられるとして、ものすごい勢いで「人格否定」の言葉を吐いてくる訳です。

自分の事を言うときは「自慢話」で、人の事を言うときは「人格否定」のみ!
その場所で「一番優れた存在」でなければいけないのですから、こうなるのは必然でしょう。

(とりとめのない記事になってしまいました。)

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