ああ幸せ!という感覚
美味しーっ!
たーのし〜!
♪♪〜(鼻歌)♪
う〜うまい!
自己愛性人格障害者はこれらの感覚を根こそぎ奪っていきますよね。
さて、『奪われる』という感覚が受け身的な生き方なのかどうかは問わないとして、自己愛性人格障害者の言動自体が人を不幸に突き落とすものであることに異論はないと思います。
ぶっちゃけた話、私は365日24時間、わが社の自己愛性人格障害者であろう自己愛ハンニャに、

と念じていた時期がありました。
その時期というのは、
・まだ自己愛ハンニャが自己愛性人格障害者だと知らない時
・自己愛ハンニャは自己愛性人格障害者に違いない!と断定し始めた時
・自己愛ハンニャの攻撃が半端ではなかった時
で、
自己愛ハンニャと関わったのは6年間でしたが、少なくとも3年間くらいは自己愛ハンニャに『4んでほしい』と思って毎日出社していたようです。
そして、自己愛ハンニャから離れて3年経ちます。(移動になったため)
今、自己愛ハンニャと離れて思うのは、『自己愛性人格障害者の不幸度は半端ない』ということです。そして同時に『周囲の人間が自己愛性人格障害者の不幸な人生に引きずられてしまう』のだなと感じます。

そうです、自己愛性人格障害者が棲んでいる場所は地獄なのです。
(コレ、信じられますか??)
どのように地獄かと言うと、『世界でたった一人ぽっち』と感じているということです。
加藤諦三先生の言葉を借りると『周囲全員が敵という環境に居るスパイ』のような存在らしいのです。
目を閉じて、ゆっくりと、そういうことを想像してみてください。
生きた心地がしていない、いつ4ぬか分からない恐怖の中で生きている、という環境で自己愛性人格障害者は生きているのです。(そうは見えない?)
・だからあんな事が言えるし、
・嘘しか言わないし、
・子供でもやらない非常識なことができるし、
・しつこいし、
・見たことも聞いたこともない言い訳をするし、
等々、『自分の命を守るため』の必死の言動なんだなと納得できるのではないでしょうか。
自分が敵陣の中に居るなら、生き延びるためには、私達はどんな事でもやるのではないかと思います。
大半の人は、それこそ、常識なんて吹っ飛ぶでしょうし、本能から出る『生きたい』という欲求を満たすためには、(その関所を通るために)平気で嘘もつくし、(普段はとてもじゃないけど出来ないような)人を突き飛ばして前に行くでしょうし、他人が持っている食べ物を奪うでしょうし、、、
というふうな環境に居るのが自己愛性人格障害者なのだと加藤先生は言っておられるのです。

と、私などは随分経ってから知ることになったのですが、それを知ってからは自己愛性人格障害者の言動を分析しては『なるほど!』と思う回数が増えてストレスが激減した感覚がありました。

自己愛ハンニャ、かわいそうなヤツなんや〜
周囲が全員敵にしか見えんのか?? だから攻撃してくるんやな。

そりゃ、
美味しーっ!とかたーのし〜!とか♪♪〜(鼻歌)♪とかう〜うまい!とか、感じることないわなあ〜
自己愛性人格障害者は、一生、人生を楽しむことが無いということが分かると思います。(勝った!負けた!という感覚しか持っていないそうです。)
とは言うものの
この死神は、まさに死神で、人間を傷付けることしかやりません。
(だってスパイなんですもの。。)
・庭先に現れる熊。
・街中に放たれたオオカミ。
・企業に忍び込んだ精神病者。
やはり近づかない・逃げるしかありません。
で、あまり頻繁に現れる場合、行政による駆除もありです。
すなわち、企業内でなら、自己愛性人格障害者のパワハラ等の言動を客観的に示して法令や就業規則に則って処分してもらえます。
ママ友コミュニティや家族内でなら(大変困難を伴いますが)離れることができます。
スカッとした対処法が自分的には『必殺仕事人』的なものなのですが、違法行為は絶対に出来ませんから、『目には目を歯には歯を』的なもので対処していました。
自己愛性人格障害者の報復がスゴイのとシツコイのとで、忘れた頃にバッサリ斬られ大出血は免れませんでしたが。(あ〜しまったあ、油断したあ、という感じです。)
とにかく自己愛性人格障害者が敵陣の中に一人で居るスパイということが分かったなら関わり方・闘い方を編み出すことができると思います。
『自己愛性人格障害者さんて、なんて可哀そうなんだ』と思えたら、今のターゲットの苦しみは露のごとく消え去ります。(が、だれもが加藤先生にみたいにはなれない。。。)
相手を自己愛性人格障害者だと見抜いて関わらない生活をすることが大切ですが、『何コレ?』となって知らない間に自己愛性人格障害者の餌食になってしまって、初めて自己愛性人格障害者という概念を知ることになる人がこれからもたくさん出てくると思います。
少し、お説教にみたいになってしまいました。