自己愛性人格障害者の異質性は人間の感覚では理解できない
ミスってるんじゃない?と人から指摘されたら誰かが勝手にPCを触って書き換えたんや!と言ってのけるわが社の自己愛性人格障害者・自己愛ハンニャ。↓↓↓
こんな発想スゴすぎます。
過去6年間の自己愛ハンニャの言い訳を思い出して書いているわたしですが、誰かが勝手にPCを触って書き換えたんや!はベスト1です♪
いえナンバー1です♪ギネスものです。世界遺産レベルです。
自分自身の世界はまだまだ狭くて、人生の諸先輩やその道のプロ(精神疾患患者や引き篭もりやDV夫妻や犯罪者等々に関わっている方々)から見ればヒヨっ子だと思いますので、自己愛性人格障害者の誰かが勝手にPCを触って書き換えたんや!という言い訳に感心してしまうのかもしれません。
自己愛ハンニャの言い訳を思い出しながら、コレすごいやん!凄すぎる!との感動にも似た気持ちがこの2~3日続いてしまっているのです♪知識欲が満たされたのでしょうか?自分は幸せすら感じているのかもしれません。
子どもの頃(思い出すと小学校2年くらいの時に)、放課後は毎日学校図書館で本を読んでいましたが、「ハンガリーの少女達」という題の写真を見て、地球は広いんだ!今自分がこうしているうちにも見た事もないハンガリーという国の少女達も学校に行ってるんだ!と思うと、自分の知らない世界が頭の中にすぅ~と広がる感じの気持ち良さを感じていたと思うのですが、それと同じものを自己愛ハンニャの言い訳に感じたように思います♪
今まで、異質の文化を異質の世界だと思っていましたが、例えばマサイ族とか、異質には違いないけれども、文化が異質であって人間の感性は異質ではないのだ!と思い直しています。
子どもが生まれたら嬉しい。人が亡くなれば悲しい。時には家族や友人間でケンカをすることもある。人様の心配もしたりする。わがままを言って困らせたと反省もする。仕事上でミスったら謝る。
等々は、人間なら普通にやることですね。
しかし、自己愛性人格障害者は、人が亡くなれば悲しがっているフリをする。人様の心配をしているフリをする。わがままを言って押し通す。反省をしたことがない。仕事上でミスったら言い訳する。
↑
これこそ異質ではないか!と思うのですよね。異常人格には違いないです。
簡単に言えば大人の肉体を持っている乳幼児、ということです。
子どもっぽくね?
幼稚すぎるよ!
わがまますぎるよ!
というふうな人は、みなさんの周囲にも必ず居た(今も居る)と思いますが、個人間ではそういうのとは付き合わないし、親子間ではストレスを溜めながら諦めてしまうケースが多いでしょう。
しかし、自己愛性人格障害者と上司部下の関係、自己愛性人格障害者と恋人夫婦の関係の場合、自己愛性人格障害者ではない方が被害者となってしまい、最悪の場合、企業内でなら相手が失脚したり会社が倒産する、パートナーなら命まで落とす、というふうな事態になる危険性もあるのです。
企業では、そういった危険な状態になるまでに必ず以下のようにことが繰り広げられます。
会議の時に自己愛性人格障害者が1匹1人居ると、例えば、役付きばかり20名で企画会議をするとなると、こう↓なります。



というふうな話の流れになって、自己愛性人格障害者に議会進行を止められてしまいます。
自己愛性人格障害者の手口が分かっていない場合、普通にこうなると思います。
企画会議が中断されることになりますが、自己愛性人格障害者が責任を問われることはなく自己愛性人格障害者に同情する人すら出てきます。
2回目以降も同じことが起きます。



(その前に、自己愛性人格障害者が「やるぅやるぅ」とダダをこねていたため、メンドクサイので責任者が「では自己愛ハンニャさんにやってもらいましょう」と言っている事実があるのですが。。。)

ここで怯まずにものが言える人が居たとして、


と、メンドクサイことこの上ない状態になります。
大人の社会人は、相手が完全に幼児状態になってしまっていると、それ以上の追求はできなくなってしまいます。特に鳴く女の場合お手上げです。策はありません。(閑職待遇か解雇だけしかありません。)
わが社は賽の河原ですから、こう↓です。

会社のためを思ってやったのに誰かがアタシを妬んでそんな事したなんて悲しいわあシクシクシ~

(と訳分からんことを言います)

(この人は認知症でしょう)

(いつでもどこでも良い人アピールしかしません)

(と見当違いの擁護をします)
というふうに言われているうちに自己愛ハンニャは鳴き止み、

というふうな感じになります(この会議に出る必要がなくて助かっている私です♪)