強者にこそモラルハラスメントをしかける自己愛性人格障害者
前回の記事で、
やっと辿り付いた結論が自己愛性人格障害者は2才児(いわゆる3才前後の魔の2才児と言われる時期)だと書いた。
これは揺らぐことのない結論で、私の確信でもある。
で、2才児には勝てないから逃げるしかない!という結論が出てしまう。
2才児のことを書いた記事↓
以下の記事では、自己愛性人格障害者はハチュウ類だ、みたいな勢いで書いてしまっている(笑)↓
いや、
自分の子どもが自分ちの範囲内で暴れる分には、逃げたりはしないし全力投球して逃げずに向き合うが、大人の世界の会社や組織で暴れる人間の大人の肉体をもったハチュウ類自己愛性人格障害者と向き合うのは、素手でワニと戦うのと同じだから逃げるしかないだろう。
しかし、あなたや私がブキを持ったハンターやタイのワニ使い?蛇使い?のような技を身につけたならば、自己愛性人格障害者というハチュウ類を操ることができるだろう。その技が知だ。
(知は力なりと以下でしつこく書いています♪)↓
https://ogyk.net/column/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%84%9B%E6%80%A7%E4%BA%BA%E6%A0%BC%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%92%E7%84%A1%E8%A6%96%E3%81%99%E3%82%8B/
先日、ある方のサイトを読んでいたら、ルサンチマンという言葉が出てきた。
学生時代に生き方を求めて読んだ、デカンショー(デカルト・カント・ショーペンハウウェル)やらニーチェやらが、我が家の本棚に並んでいる(だけ)。その中のニーチェの難しげな『人間的な、あまりにも人間的な』『ツァラトゥストラはかく語りき』なんかに、ルサンチマンという言葉が載っていたやに記憶している。
ルサンチマン。。。
そういえば読んだ読んだ。。という程度だったが、いや、一応知っているつもりだった。
だが、自己愛性人格障害者と3回も遭遇し、散々やられていく中で、上記サイト様が書かれているルサンチマンの意味を再度吟味すると、なんと!その言葉の意味がメチャクチャ分かる(っじゃ、あ~りませんか!)。
社会的強者を攻撃してしまう精神性
ルサンチマンの表れの例として、敵を想定し、その対比として自己の正当性を主張するイデオロギーにある。こういったイデオロギーは、敵が悪の元凶とし、だから反対に自分は優れていると主張する。「彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ」ということになる。敵として想定される存在は、自分に無力を感じさせる対象が選ばれる。・・・(略)・・・
ニーチェによれば、ルサンチマンを持つ人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」である。
ウィキぺディァより:ルサンチマン
なるほど!なるほどーーっ!
そこにプラス、シャーデンフロイデ(= Schadenfreude)が加味されて、自己愛ハンニャの出来上がり!!
シャーデンフロイデとは、自分が手を下すことなく他者が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われたと見聞きした時に生じる、喜び、嬉しさといった快い感情(おそろしい。。寒気がする)。
ルサンチマン・自己愛ハンニャに無力を感じさせる対象→主に私
br>
br>
他人が誰かをほめた時に、自己愛性人格障害者が必ず言う『でもね』については以下の記事へ↓
br>
br>
か。。。
br>
br>
なるほど、なるほど。
↓
敵認定する(ここが異常なのです。スキルを磨くなどしないのです。)
↓
敵だから悪人だ(だから自分は善人だ)
↓
悪人は責めて当然だ
↓
行動によって反応することが禁じられている
(相手の方が仕事ができる・美人という否定できない事実がある)
↓
空想の中でいたぶる
という理屈が、先日の『社長秘書の私の前で、自己愛ハンニャが客に社長秘書の自己愛ハンニャと申しますと言った訳』だったのか。。↓
この空想のレベルを持つ自己愛ハンニャは、もはや、治る見込みのない異常人格者だと結論付けるしかないように思う。
やはり、自己愛性人格障害者への対処法はなく、逃げるしか道がない、ということかな?
自己愛ハンニャは赤ちゃんだから誰かが育て治すとしてもあと20年もかかるから、会社も私も先に逝ってしまう。
(ぃやいや~久しぶりに腑に落ちて、脳ミソがドーパミンやオキシトシンで満たされましたワ♪)